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テレビを見ていた僕は「居てよしッ!」と肯定された。

この文章は、スカパー!とnoteで開催するコラボ特集の寄稿作品として主催者の依頼により書いたものです。

26歳の希望と絶望

「よくテレビや雑誌では、『前向きに生きよう、前向きに生きよう』とまるでバカの一つ覚えのようにいうけれど、私はあれが嫌いだ。
そんなことは言われなくたってわかっているのだ。後ろ向きより、前向きの方がいいに決まっている。問題はそんなに簡単ではないような気がするのは、私だけだろうか。
いったいどっちが前なのか、わからないのは私だけなんだろうか?」

これは、1999年に放送されたドラマ『彼女たちの時代』(フジテレビ)の深津絵里演じる主人公・深美のモノローグ。26歳の深美と同い年の友人・千津(水野美紀)と次子(中山忍)を中心とした群像劇で、群像劇好きの僕の“原点”のようなドラマです。深っちゃんが好きで見始めた僕に彼女たちの苦悩は深く突き刺さりました。
当時、僕は21歳の大学生。特に将来の夢や展望もなく、あるのは漠然とした不安だけ。まさにどっちが前かもわからなかった。そんな僕に、3人は少し先の未来の悩みを見せてくれていたのです。
26歳というと、大学卒業して社会人になって4~5年目。働き始めの頃は、仕事を覚えることで精一杯で悩む暇がない。でも、仕事も覚えて、ある程度なれてしまうと、このままでいいのか、自分にはもっと別の向いている仕事があるんじゃないかとか、そういう悩みを抱く余裕ができてしまう。そんなこともあって主人公はカルチャースクールに通い始めます。そこで出会ったのが2人の友人です。
そういえば僕も、普通に会社員しながらブログを書き始めたのがきっかけでライターになったのだけど、ブログ始めようと思ったのがちょうど26~7歳の頃。先程、夢がなかったと書いたのは半分は嘘で、元々は雑誌の編集者になりたかったのだけど諦めたというのが本当。その夢の代替手段として始めたのがブログでした。

『彼女たちの時代』の脚本は岡田惠和。監督が「こんな淡々とした台本でドラマを撮ってみろよ」と挑戦されているみたいだと言ったくらいドラマ的な大きな事件はほとんど起きない。そんな中でとても印象的だったシーンがあります。
第7話で、3人が夜中まで語り明かして、そのまま寝てしまいます。朝起きると、急に海に行こうと言い出し、車で海に向かうのだけど、道を間違えて全然海につかない。途方にくれたときに、小高い丘を見つける。車から降りて丘に登ると、そこからちょっとだけ海が見えるのです。そこで3人が海に向かって叫ぶ。
「海ー!なんでそんなに遠いんだー!」
この海が遠くに見えるというのは、希望であり絶望。その両方がただあるものとして描かれていて、とても好きなシーンです。

「きっと、人がどんなに羨ましいと思う仕事にだって、つらいことはあるんだと思う。そしてどんなにつまらないと思っている仕事にも、それなりに喜びがないわけではないんだ。
日常って、多分そういうものなんだ。
でもだからこそ複雑なんだと思う。いっそ死ぬほど嫌だったら、何の喜びもなかったら、もっと気持ちは簡単だと思うのだ。
(略)
そう、日常なんてきっと、こんなものなんだ。でも、小さな喜びなのかも知れないけど私は絶対この海を忘れないような気がした」

「居てよしッ!」

『彼女たちの時代』放送の4年後、日本テレビでは『すいか』というドラマが放送されました。
のちに岡田惠和ともタッグを組んで名作を生む河野英裕がプロデューサーを務め、木皿泉が脚本を書いた作品。34歳の主人公・早川基子(小林聡美)は、信用金庫の職員として平凡な日々を過ごしていたが、彼女の数少ない同期だった馬場ちゃん(小泉今日子)が3億円を横領し逃走。そんな事件がきっかけになって「ハピネス三茶」という下宿に転がり込んだ主人公と、そこに住むエロ漫画家・絆(ともさかりえ)や大学教授・崎谷夏子(浅丘ルリ子)、大家の女子大生・ゆか(市川実日子)らとの日常を描いたドラマです。
まったく作品に関連性はないのだけど、僕はどこかで『彼女たちの時代』の8年後を見ている感覚がありました。
その中で大きな違いともいえるのが、年長者である教授の存在。厳しくも優しい言葉で、主人公たちを肯定してくれる。たとえば、こんな言葉。

「忘れたいものは、みんな埋めていいの。みんな、何かしら埋めて生きているもんです。安心して忘れなさい。私が覚えておいてあげるから

嫉妬するのはね、恥じゃないわよ。そういう(ドス黒い)ものは、誰だって持ってるの。恥なのは、そのどうしようもない気持ちを、人にぶつけてしまうことよ。
そういう時は、じっと我慢するしかないの。どんな嵐も、きっと過ぎ去るんだから。絶対に、大丈夫だから。どんなに自分の中が荒れ狂っても、元の自分がやってくる。それ信じて、じっと我慢するしかないの」

「どんなことも、受け入れる根性さえあれば、生きる事は、怖いものではない

彼女が登場人物たちに「居てよしッ!」と言うと、見ている僕も丸ごと肯定されたような気がして自然と涙が溢れてきました。

ちゃんと知るということ

コンビニでバイトをしている響一(金子貴俊)は、ハピネス三茶で出会ったエロ漫画家・絆にファンレターを書く。絆が描いた漫画が載っている雑誌はコンビニの棚に並んでいたから知っていたが読んだことがなかったと、告白した上でこう綴っています。

「読まなくてもわかると思っていたのです。まあ、大体、表紙を見れば、内容なんて、似たり寄ったりだと思っていたのです。そんなふうに、僕は世の中の事を、すべてわかってるつもりでいたのです。
でも、先生の漫画は、そんな僕を、根底から打ち砕くものでした。僕は、実は何もわかっていなかったのです。今、僕のやりたい事は、世の中の事を、ちゃんと知るということです。名前だけじゃなくて、値段だけじゃなくて、その中身をちゃんと知るという事。
ひょっとしたら、そこには、思いもしない喜びがあるかもしれないという事。先生の漫画を読んで、その事を知りました」

テレビはよくつまらないと言われます。「テレビっ子」を自認する僕も、大半のテレビ番組はつまらないと正直思います。でも、それって、側だけ見てわかっているつもりになっているだけじゃないでしょうか。
漫画でも小説でも映画でも、ほとんどのエンタメは、自分が興味あるものを探して能動的に見に行くから、ある意味面白く感じる可能性が高いのは当然です。けれど、テレビだけはなぜか受動的に流れてきたものを見てつまらないと判断されがち。『彼女たちの時代』も『すいか』も決して視聴率は高くありませんでした。けれど、いまだに語り継いでいるファンがたくさんいます。能動的に探せばきっと自分に刺さる番組があるはずなのです。
そんな思いでテレビの中の「好き」を綴るブログ「てれびのスキマ」を始めたのが『すいか』が終わった翌々年。当時、ネットでは特定のタレントのファンブログなどを除いては、テレビのことを書く=批判的なことを書くことだったこともあり、そうではないブログが多少目立ったことで、運良くライターの仕事にありつけました。テレビ好きなままで「居てよしッ!」と肯定された気分でした。

梅干しの種

やがて3億円を横領し逃亡生活を続ける馬場ちゃんと主人公は再会します。そこで馬場ちゃんは言う。
「早川の下宿に行った時さ、梅干の種を見て泣けた
それこそが愛すべき日常に違いありません。
『彼女たちの時代』の最終回も主人公の「日常」に関するモノローグで幕を閉じます。

「たぶん、人が生きていくのって、面白くないしカッコ悪いことだらけなんだ。ドラマチックな出来事なんて、そんなにあるわけじゃない。小さな小さな日常がずっと延々とつながっているだけなんだ。
でも今、私は思う。
同じように悩んでいる人がいる。同じように答えを出せずにいる人がいる。私だけじゃないんだ。そう思えただけでよかったと思う。
(略)
そして、私は少しだけこれからのことが楽しみになってきた。どんなことがこれから先、私に起きるのだろう。
なんだか少しだけ楽しみになってきた

そんなテレビドラマに僕は救われたのです。だから僕は日常にテレビがある生活を捨てることができない。いまだに前なのか後ろなのか、どっちを向いているかはわからないけれど。


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