「句会、面白いなあ」

「句会」というのをご存じでしょうか。
と、書いている自分もあまりよくわかっていない。
Wikipediaによると「複数の人間が自作の俳句を出し合い、評価・批評し合うために行われる集まり」とのこと。知人で句会に参加している人もいるので存在は知っていたけれど、なんだか敷居が高い感じがしていました。

そんな中、SNSの僕のTLで10月22日に放送された『NHK俳句』がなにやら話題になっていました。
出演するゲストによってはたまに僕も見ていた番組。その日のゲストは伊集院光だという。これは見なければと思い再生して驚いた。
僕が見たことがある『NHK俳句』は、決められたお題に沿った句を視聴者から公募し、それを選者が評価する形式だった。けれど、その回でおこなわれていたのは「句会」だったのです(ちょっと検索してみた限り、句会形式で行われているのは高野ムツオが選者を務める第4週だけっぽい)。

この日の出演者は選者の俳人・高野ムツオに加え、俳人の相子智恵、板倉ケンタ、レギュラーである乃木坂46の中西アルノとゲストの伊集院光。
この5人がそれぞれ「虫」というお題で句を持ちより、誰が詠んだ句かわからないまま、自分が詠んだ句以外で、一番良いと思う句に「特選」(2点)、次に良いと思う句に「並選」(1点)をつけるというもの。その上で、やはり誰かわからない状態のまま、選んだ理由・選ばなかった理由をそれぞれ発表していくという形式でした。

この日もっとも高い評価を受けた句のひとつが以下の句。

「虫螻(むしけら)や 百舌鳥(もず)の嘴(はし)から見たこの世」

これに中西、板倉が「特選」を与えました。
まず、選んだ2人が選評を寄せていく。以下、大意。

・映像がわかりやすい、視点が面白い(中西)
・視点が俯瞰というか鳥瞰。この世を上から見るような虫の視点が面白い。自分が「この世」を見ている視点になっているのも巧み(板倉)

さらに選ばなかった他の人が、詠んだ本人も自分だと明かさないまま批評していく。

・虫も百舌鳥も季語なんじゃないかと疑問がわいた。ただこの迫力は大好き(伊集院)
・気になったのは「虫螻」。虫螻は虫を卑しめていう言葉。「虫」としたほうが憐れみや慈愛の情を感じる。「虫螻」は強すぎて可哀想すぎる(相子)
・「虫螻や」で切れるのはいいのか?とみんなにも意見を聞いたい。「虫螻が」で1行で続けるほうがいいのでは? 自分が投影されるから。百舌鳥に咥えられているのはもしかしたら自分かもしれない、と(高野)
・「虫螻が」にすると意味は伝わりやすいけど、最初から空にいるような句になる。散文になる。『や』で切ると嘴のアップで『虫螻や』となって、一旦カメラが切り替わって別のカメラが俯瞰しているような視点の面白さが出るのではないか(板倉)

高野の問いから議論が深まっていくのがとても興味深いなあと思っていたのだけど、詠んだ本人が発表され、その句がどのような意図で詠まれたかが明かされたとき、さらなる面白さが生まれることになる。僕は鳥肌が立ちました。


(以下、重大なネタバレを含みます)


この句を詠んだのは伊集院。
伊集院は「句会、面白い!」と感嘆しつつ、この句を詠むに至った背景を語っていきます。

伊集院「実は最近、後輩の芸人だったヤツが死にまして。彼は芸人として全くうまくいかなかった。芸人を辞めた後、うつ病と引きこもりになってすごくつらい日々をすごした。やっとそれを抜けて、この1年間めちゃくちゃ明るくなって交通事故で死んだんです。僕はこのことをなにかの表現にしたいとずっと思ってて、句の力を借りれば、彼が虫螻同然だったと自分を責めた時を僕は知っていて、外の世界を見て良かったろって思ったんです。それを『虫』って言葉を頂いて詠んでみたんですが、『虫螻』は可哀想だって言われた時に本当に救われた気がした。僕は出来事を背負ってるから」

たった17文字にいかに深い思いを入れられるか。そこからいかに多くの想像をめぐらすことができるか。句会を通してそれが如実に伝わってくる。
句会の中でかわされた視点の意味合いや言葉選び。そのすべてが昇華されるようにこの句に宿り、より深いものになったような感覚になりました。
伊集院は最後にもう一度、しみじみと言った。
「句会、面白いなあ」

サポートいただけるとめちゃくちゃ助かります!