震災の日に思い出す2つのこと

東日本大震災からもう12年経つんですね。
僕は当時、福島県いわき市に住んでいました。
けれど、偶然僕はその日、いわきにはいませんでした。
その日の夜に東京で開催予定だった「RGのあるあるオールナイトライブ」に向かっていたのです。

地震発生時は高速バスに乗っていました。
首都高が地震の影響で通行止めとなり高速バスは急遽、高速を降り、「行けるところまで行ってみます」と一般道でゆっくりと東京駅に向かい、3時間以上遅れて到着しました。
が、当然ながら宿泊場所もなにもなく、周辺を歩き回りようやく見つけた営業中のネットカフェに。
すでに店外には多くの人が並んでおり、2時間近く待ってようやく店内に入ることができました。

と、ここまでは色んなところで書いたり話していたりすることですが、実はこのときの記憶として強烈に残っているけど、おそらく一度も書いていないこと(書くようなことではないからですが)がひとつあります。

ネットカフェの席についてすぐに携帯を充電。電源を消費しないよう携帯の使用を最小限にしていたので、まともにTwitterを開いたのは事態を把握してからは初めて。
心配してもらっているリプや励ましの言葉などありがたいツイートに紛れて、ひとつの攻撃的なツイートが目に入りました。
当時僕は、「まもなく放送開始!」と放送の少し前にオススメの番組をツイートしていました。それは規定の時間になると自動的にするように設定していたんですが、その設定を解除する余裕もなかったので、呑気にそのまま流れてしまっていました。

そんなツイートに対して「こんなときに無神経だ」的な言葉が書かれていたのです。
そのひとつのツイートは、おもりをつけたように僕の心を重くしました。今思えば、そのツイートをした人もこちらの事情も慮れないほど余裕がない状態だったのでしょう。そう言いたくなる気持ちもわかります。
普段なら、あら申し訳なかったねーとたいして気にもとめずに対応できたと思いますが、この時は、震災の絶望感や、家や家族、友人が無事かどうかもわからない不安感などと重なってしまったのか、ずっしりと深く突き刺さりました。
こんな些細な事を今でも「あの日」のことというと真っ先に思い出すのはこの感情というほどに。自分でもなんでそんなことをいつまでも考えてるんだって思うのだけど、なんだか処理し難い澱がたまっている感じがずっとあります。

あとひとつ思い出すのは、同じTwitter上で、この日「あるあるオールナイトライブ」をやる予定だったRGさんが夜通し「あるある」を返していたことです。それは数日にわたって続きました。

きっとRGさんのもとにも「不謹慎だ」「やめろ」などという声も届いていたんじゃないかと思います。
それでもRGさんは「あるある」をひたすら続けていました。それが必要としている人がいると信じているように。僕は確かにその「あるある」に救われました。そんな2つのことを同時に思い出します。
そしてRGさんは今日も「あるある」を返しています。



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