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うまく話すことの正解は?

Q:うまく話すことの正解は?
A:相手目線と自分を見失わないこと

音声メディアの話し手をそのまま真似てみたら
思いのほかできなさ過ぎて自分にビックリした。

そんな話題から始まった、ある日のテーマ
「うまく話すことの正解は?」

喋るってことが普通にできる人はすごい。
口をスムーズに動かすための筋肉、
言葉を発するための声量と肺活量、
喋りながらロジカルに話題を展開するための脳みそ。
そのどれもが備わっていない自分に絶望した。

発する言葉の重みとか語彙力とか、話の辻褄とか。
耳触りの良い抑揚で聞き手を安心させる技術とか、
話上手な人の条件以前のところでつまずいている。

そんな自分が情けなくて呆れたんだ、
と言う私の話から、「話し方」のキーワードを拾った夫が
夫婦の会話を展開していく。
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想像の中に話す相手がいるのと、
ターゲットがいないただの1人語りとではまるで違う。
例えば実際の夫婦の会話では「結論から言うと…」みたいな、
ロジカルな話し方を実践してみている。
仮に音声メディアの配信をやっているとしたら、
頭の中にターゲットをイメージしながら話すけど、
1人語りをするのは難しさがある。

というか、そもそも誰かに対して喋る予定もないのに、
練習してみようかなんて思わない。

話すことにトライする意図は、
少なからず人前に出て喋る環境があるから
そこに意識が向いていると言うこと。
音声メディアを聴いていてそんなことを思うんだ、
トライしてみてるんだな、なるほどと思った。

夫にそう言われて私は、自分では掴み取れない
私の言動の意図を知ることができて、こちらもなるほどを返す。
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さらに「上手い話し方」について続く…。

最近あるインストラクターの連続講義を受けて思うこと。
講義する先生方の姿勢から学ぶ、
「喋る言葉の中に相手がいなければ意味がない」。

”インストラクターのあなたたち”に対して目を向けて話しているから、
聞いている方も面白いなと思う。

思いが場の空気や目線に宿っていなかったら、
自分には関係ないことだと思わせてしまう。
満足を与えられない、つまり話し手としては役不足。

逆に面白くない講義は、ただ自分が喋りたいだけの一方的なもの。
知識を伝えないといけない、とりあえず喋りたいことを喋る。
必要な情報だとしても「お前ら覚えろ」みたいな雰囲気は全く面白くなくて記憶に残らない。

相手を見て話してるか。
いつでも他人目線、相手目線が重要。
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ただし、 うまく喋れない、うまく伝えられないというのも個性。
世間的に聞きやすい喋り方とか、ロジカルさとか、
いい人間を求められて方法論的すぎる。
あまりにそうでないといけない世の中な気がする。

個性は個性として受け入れることも大事でそこから気づけることもある。
うまく喋れない自分にできるものって一体なんだろうと、
自分を諦めず見失わないでいること。

努力したいとこは努力しつつ、自分のキャラクターも受け入れる。

相手のことを想像するって、
自分のことすら分からなかったらそもそも相手なんて思いようがないわけで。
自己分析、自分をメタ認知することが大事、と最後に補足しておきたい。
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「話し方」が話題になった夫婦の会話。
最後の部分は、仕事の作り方にもつながることだと思っている。
今自分の中にはないものを得るために頑張ろうとばかりするよりも、
自分の中にあるものを受け入れて掛け合わせで何かを作っていく。

それができれば、
自分よがりなクセに他人にどう見られてるかを気にする
なんていう、誰も満足しない終わりのないループとは無縁でいられると思いませんか?