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私がカーテンを閉めないのは、面倒くさがりだからじゃない。

親も、友だちも、私の家を訪れる人はみんな
「カーテン閉めないの?」と言う。

私の家にはニトリで買って付けた
レースカーテンとベージュのカーテンがあるけど
どっちも常に開けっぱなしにしている。

私は理解されないだろうなと思って、
うん、と一言だけ答えると、
みんな「閉めたほうがいいよ〜」と言う。

隣の家とは距離があるから
見えないだろうと思うのだけど、
「上の階から望遠鏡とかで覗いたら見えるよ!」って。
まぁ、たしかにこの世にそういう人がいない
とも言い切れないけど。

でも、私は面倒くさいからカーテンを閉めない
わけじゃない。

だって、昼間のレースカーテンでさえも、
閉めたら外の景色が少しは見えづらくなってしまう。
夜にカーテンを完全に閉め切ってしまえば、
一切外の明かりが入らなくなる。

そんなの、嫌すぎる。
少しでも、外からの景色を遮断したくない。

人は非日常に思えるものも、
次第に慣れるとそれは日常になってしまう。
だけど、目に見える日常の景色は私の心を彩る。
外界と繋がりがあると、自分がこの世界に
生きているのを感じられるんだ。

家にこもっているところから外に出ると、
人の声が聞こえる。
動く人がたくさん目に入る。
そうすると、あぁ、私もちゃんと生きてるって
思える。

コロナ禍でオンライン授業のみの授業形態
だったときも、私は学校に行くことがあった。
次第に対面授業が再開され、なにも変化はないと
思っていたのに、校内には学生がたくさんいて
私も学生なんだってことを実感した。

私はひとりでも生きていけるけど、
やっぱり人と共有するものがあって
周りの人の存在があって、
この世界で生きているって感じることができる。

この春から1年だけ
学生マンションに引っ越してしまったけれど、
私は今でも、3年間住んだ国際寮の
自分の部屋の窓から見える景色が忘れられない。

リビングやキッチンが共同な分、
5畳くらいしかない、縦長の狭い部屋に
ひとつだけある縦長の窓。

夜になると、目の前のマンションの外階段の
オレンジ色の明かりがキラキラして見えた。

その景色は何故か、見るたびに、
私も一度しか泊まったことのない
ディズニーランドの「ホテルミラコスタ」の
窓から見える景色をいつも彷彿させ、
いつでも眠る前に窓越しに外をみると、
息を呑むほど幸せな気持ちになれた。

いま、私の部屋の窓からみえる景色は、真っ暗。
目の前のアパートの屋根は、
私が住んでいるマンションの4階よりも低くて
おまけにベランダの壁も防犯対策で高いせいだ。
あの景色が恋しくなるけど、それでも、
外の景色をいつでも見られるようにしておきたい。


4月からの社宅の窓からは、
どんな景色が見えるのだろう。
いまの味気ない景色も
恋しくなったりするのだろうか。

せめて、カーテンを閉めなくてもいいような
ゆとりがあるといいな。

最近は、東向きの私の部屋から外に出て見える
西向きの景色が、とっても素敵なことに改めて
気づいた。

夕焼けがすごく綺麗でこのヘッダーにした写真も
iPhone8で私が撮ったものだ。

これまで生きてきて、何度も綺麗な月を
スマホのカメラに収めようと試みながら
難しいなぁと思っていたけど、
こんなに綺麗な写真が撮れるとは思わなかった。

しかも、肉眼でみるこの景色はもっと綺麗で
エレベーターから出てこの景色をみたとき、
綺麗すぎて「えっ」って声が出そうになった。

新たな生活が日常になるその時までは、
この日常を大切に、心に留めていこうと思う。

毎日note日記*24日目
〈1397文字〉

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