意見が「ない」のか、あるけど言え「ない」のか。

最近、オードリー若林さんのエッセイ集を読んでいる。
その中の【ぼくは紅茶を「飲みたい」か?】
というエッセイを読んで、思い出したことがある。

私が、自分が周りの人の反応を意識して、
それに左右されて生きていることに気づいて
ゾッとさせられた高校2年生の頃のエピソード
である。

ある授業で、班で簡単な発表をすることになった。
その場で考えて、口頭で発表するタイプの内容だった。

そこで、近くの机の4人で班を作ったのだが、
女子は私ともう一人、静かなタイプな子で
男子2人はうぇいうぇいしているタイプの子だった。

アイディアとか、どうやって発表するかとか
考えないといけないのだが、
なかなかこの4人では話が進まない。

男子もいらいらしてきた。
そこで、私は勇気を振り絞って声を出したのだ。

すると、「いいやん。」と言われた。
私が声を出すことで、喜んでくれた。
お通夜みたいだった空気が明るくなった。
嬉しかった。
そして、そのまま私が主導となって話をまとめ
前に立って発表するときも、
いつもはなかなか話さない私が先頭に立って
発表した。

もしかしたら、その時の男子は考えるのが
めんどくさいだけだったかもしれない。
真面目な私に、「こいつに任せたらいいやん!」
と思っていたのかもしれない。

だけど、その時の私にはすごく嬉しいことだったのだ。
「え、私、でしゃばってもいいの?」
「私が話すことで喜んでくれる人がいるんだ」
と、小さな衝撃を受けた。

これまでのこのクラスでの私が、
これから卵の殻を破って生まれ変わるような
新しいなにかを感じていた。


今思い返せば、あの頃の私は人見知りだったから
話さなかったわけじゃない。

言いたいことはたくさんあるのに、
私が話すとみんなに迷惑がかかる。
迷惑がられるのは私も嫌だ。
だから、何も話していなかった。

でも、それってその時の自分にとっては
何よりも大事なことのように思えていたけれど、
今になって思うのは、自分の気持ちに蓋をして、
周りの意見に合わせて(合わせたつもりで)
生きることって、本当にしょうもないことだ。

だって、自分に正直に生きた方が
その何倍も楽しいことを知っているから。

相手はこうするのが嫌なんじゃないだろうか。
こうして欲しいんじゃないだろうか。
そんなの、人によって違うに決まっている。

あの頃の私のような人が読んでくれている
としたら、相手の気持ちなど考えようとしすぎずに
決めつけずに、一度自分のやりたいことをやって
自分の言いたいことを口にしてほしい。

周りの反応は、そのあとから知って改善すればいい。

きっと、あなたの声を必要としている人が
いるはずだから。

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