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Ⅱ章/上【BeastOfTheOpera 】

 この学院の図書館には、魔書に関するあらゆる本が納められている。小説、図録、教本まで。吹き抜けの天井目一杯に敷き詰められた背表紙の数々は、いつ見ても圧巻だ。当然の如く、自習スペースも完備されており、セザールはそこの住人だった。

 今日もノートを抱え図書室に向かうと、いつも使っている席に先客がいた。ロジェだ。じっと本にかじりつき、頭を抱えている。読んでいるのは初歩的な製本作業に関する教本だった。なかなか動かないペン先を見るに、問題に躓いているのだろう。

「どうしたのロジェ」

 小声で話しかけると、それに気がついたロジェは天の恵みか、と言わんばかりにぱっと笑顔になる。

「セザール……!よかった、いいところに」

「どうしたの。なにか解らないことがあるのかい」

「ちょっとレポートを書いていて……前、どうやって書いていたのか忘れてしまった。へへ……」

「そこに、僕がやってきた。成る程ね、お力になれるか解らないけど」

「ああ、本当にありがとう。じゃあ、まずここなんだけど……」

 ロジェが開いたのは〈基礎装幀学〉の教本。学院の生徒達が入学してまず最初に履修する、名前の通り魔書の基礎に触れる学問だ。最終学年である彼が今更教本を開いている理由は……幾つか想像できるが今は聞かないでおこう。

 セザールはロジェの対面の席に就いた。

「えーっと。『魔書の製作手順と素体の保存』なるほど、まずどこから解らない?」

「……お恥ずかしながら、文字を見ると目が滑ってしまって。読み込むことすらできていないんだ。ああ、目で見て覚えるのは得意なんだけどな」

 友人ながら、彼が最終学年まで上り詰めたことが不思議で仕方ない。セザールは、いいよと頷くと、教本の図解部分を指さした。

「大丈夫さ。読み上げるから、実技の授業と重ね合わせて考えて見よう。まずは使われる素体からだね。いつも実習で使う素体には共通点があるんだけど、覚えている?」

「ううーん……大人?男性が多かった気がする」

「正解だよ。理由としては体の表面積が大きいこと。単純に素材として使える部分が多いから。それに、子どもだと体が未発達で脆いから使おうとしても使えないんだ」

 それからセザールは、魔書の製作工程に関して、いちから説明した。

 まずは内臓を摘出し皮を剥ぐ。骨も髪も綺麗にあぶらを落とし、整える。皮をなめし終え全ての素材が整ったら、設計図通りにパーツを整え組み立てる。

 表紙の皮を染料で染め、余ればインデックスに流用。ページとなる羊皮紙には、血のインクで書かれたオリジナルの魔術式を。全てをガットで閉じ纏め、薬品で圧着させれば原型は完成する。

 ここから先は、芸術の領域だ。装幀師は、その題名に相応しい装幀を施す。髪の刺繍に骨の縁取り。黄金の留め具に、ちりばめられた瞳の宝石たち。己の目と感覚を駆使し、至高の美術品を目指す。

「……おおかた、こんな雰囲気でいいかな。用紙の指定枚数もそこまで多くないし、必須要項も押さえてある。正しく書けていれば大丈夫だと思うよ」

「セザール~!君がいてくれて本当によかった」

 最後の一文を書き終えると、ロジェは気持ちよさそうに伸びをする。

「あー……、やっと終わった。聞いてくれよ、昨日パンスロン教授が『君には基礎が足りない。レポートを提出せよ』って言ってきたんだ。そうだ、お礼をさせてくれないかい」

 散々だった、とため息を吐くロジェ。座学の苦手な彼にとって、レポートは苦行でしかないだろう。だからこそ、教授の判断は正しいと思った。

「珈琲一杯で頼むよ。あと、君が気に入った小説の題名をいくつか」

「わかった。じゃあ早速カフェテリアに……」

 二人が同時に立ち上がると、遠くからなにやらひそひそと話し声が聞こえる。二人は動きを止め、そのささやき声に耳を澄ませた。

「なあ、本当か。見間違えたんじゃないだろうな」

「ほんとだって!妹が嘘を吐くような奴じゃ無いって俺が一番わかっている」

 どうやら、何を見たか見ていないかの押し問答のようだ。ただの些細な口論だ、と安心するとある単語が耳に入ってくる。

「でもなあ……〈オペラ座の怪人〉だなんて、ただの噂話だろう?」

 オペラ座の怪人。その言葉にセザールは思わず身構えた。それはロジェも同じだったようだ。

「〈オペラ座の怪人〉……?」

 以前、耳にしたことがある。何十年も前から流れるパリの噂話の一つだ。オペラ座には建設当初から怪人が住みついており、地下に眠る至宝を守っている、というものだ。

 もしそれに手を出そうと言うものなら容赦なく亡き者にされる。しかも、その姿を見ただけでも一生消えない恐怖の傷を残されてしまうというのだ。

 事実、深夜のオペラ座に侵入した不届き者が姿を消したという事実もある。だが、それはあくまでただの噂話に過ぎない。彼らの話すそれも、きっと見間違いか何かだろう。

 なんだ、ただの噂話じゃないか……

 セザールは、こういった怪談話にはあまり興味が無かった。決して、怖いというわけではない。嘘か本当か解らないものに怯えることより、目の前の事実に慄くことが多い身の上だからだろうか。だがロジェは興味津々なようで、目元がきらりと輝き始める。

「……君、好きだねそういうの」

「へへ、実はね。そういうセザールは興味なさそうだ」

「不確かな存在より、目に見える者の方がよっぽど怖いから」

 確かに、と、丸い目が細まる。

「でも怪談って、なんだかわくわくしない?嘘でも本当でも、浪漫があるように思えてさ。知ってる?オペラ座の怪人っておかしくなった獣の病の患者の末路だって噂があるんだ。他にも工事中亡くなった作業員の幽霊だとか、あとそもそも人間じゃなくて大昔に改造された化け物の類いとか、全身が焼けただれたドワーフっていう説もあるよ」

 生き生きと話すロジェに、セザールはぎこちなく笑い返した。どこからそんな突拍子のない説が出てくるのだろうかと不思議に思う。幽霊やら化け物やらドワーフやら。まるで幻想小説のそれだ。

「いいなぁ。もしオペラ座の怪人が獣の病で、それで魔書を作れたらきっと素晴らしいものができるに違いないよ」

「そりゃあ、また……」

 装幀師・フリムラン家の息子らしい発想だ。そうだね、と適当な返事を返そうとすると、セザールはふと昨日の父との会話を思い出す。

「ねえ、ロジェ」

「ん、どうしたのさ」

「……卒業制作さ、あるじゃないか。あの……改めて一緒にやってみないか。共同製作?分業?だっけ」

 ロジェはぽかんと口を開ける。

「ここだけの話、父さんが許してくれたんだ。君とだったら、やっても構わないって」

「ほんと?ああ、嬉しい。君と一緒に装幀ができるだなんて!題材は何にしよう」

「いいよ、君の嗜好を優先しよう」

「じゃあ、そうだな……ふふふふ」

 一人で盛り上がるロジェの背後に、司書がやってくる。彼女はノートで一つ、ロジェの脳天をはたいた。

「いたぁ」

「図書館では私語は厳禁ですよ。お喋りならカフェテリアへ」

 静かで圧のある声が、ずんと鼓膜に響く。

 そう言い残した後ろ姿が向かう先は、怪人の噂をしていた男子生徒達の方。二人は目を合わせて微笑んだ。

・・・

 大学から少し離れた場所に、年に一度〈製本市〉なる市場が開催される。装幀師御用達の道具や指南書、生体素材までもが店頭に並ぶ。フランス一、いや欧州一と言って良い規模を誇るこの市場は、少し気を抜けば迷ってしまう程に広い。

 行ってみたい、と言い出したのはセザールだった。ロジェ自身は一人で行くつもりだったらしく、誘った時は目を丸くしていた。

「大丈夫?きっと、素体解体とか見ることになるかもしれないけど」

「父さんが行けって言って仕方が無いんだ。できるだけ見ないようにすれば大丈夫さ」

 入り口まで向かうと二人は地図を広げ、市場の全体図を確認する。欧州一の規模の名は伊達ではなく、一流の道具やから普段見ない素体バイヤーの仮説店舗まで、文字通り全てがそろっている。

 まずはどこへ向かおうか。セザールが悩んでいると、ロジェの指先が道をつつき、小さな建物を示した。

「とりあえず、はじめは展示会にでも行こうか。確か、数百年物の魔書がメインの企画展をしているんだよ」

「へえ、数百年もの……ヴィンテージか。是非見てみたい」

「ああ、しかもただのヴィンテージじゃあない。並ぶのは全て、特別の〈いわく付き〉ばかりだ」

 高揚した声で、ロジェは言った。

 生体を利用する魔書には、どうしても〈いわく〉がついて回る。それは素材となった罹患者が生前に作った逸話だったり、製本された後起こった出来事だったりと様々だ。

 魔書そのものの性能や美しさも重要ではあるが、マニアの間ではその〈いわく〉を重視する者も多い。背景物語があればあるほど付加価値がつく、というわけだ。

 オカルト好きのロジェも、どうやらその一人らしい。彼は足早に展示会が行われている施設へと向かう。セザールもその後を追った。

 たどり着いたのは、市の中でも一等古い小さな建物だ。展示会を示す小さな看板が立っていなければ、ただのぼろ屋にしか見えない。

「いやあ、雰囲気がすごい」

「ワクワクしてきたなぁ!早く入ろう」

 ロジェに連れられる形で建物の中へと入る。古びた木の扉の向こうは薄暗く、洋灯の明かりが数点点って居るだけだ。薄暗く灯された内装は、質素ながら整っている。どうやらあまり繁盛はしていない様子で、自分たち以外に観客はいない。

 壁際には数十点の本が、丁寧に硝子ケースに収まり、小さな蝋燭に照らされていた。

 セザールは試しに一番端の魔書に目をやる。表紙は菫色に染められ、同系色の宝石よって彩りを重ねられていた。一番目立つ表紙の上部には金色で〈Carmilla〉と美しい書体で綴られている。

 綺麗だ。

 それが、かつてヒトだったなど信じられない。貴婦人を思わせる品のある装幀を、覗き込む。

「気になりますか」

 背後から冷たい女の声が聞こえる。思わず振り返った。立っていたのは、セザールよりも少し年上くらいの細身の女性だった。黒いドレス姿はこの会場の雰囲気にぴったりで、一目で職員だとわかる。

「そちらは丁度、一〇〇年前に作られた魔書になります。〈ベルクグール病〉だった素体の女性は、大変美しい貴族の姫君だったそうです。ですが生来の残虐な性格と、圧政により最後は処刑されたのだとか」

 切れ長の目をにっとつり上げ、女は言う。

 実に興味深いでしょう。

「へ、へぇ……他の本についてお聞きしても」

「もちろん。この本は、自身を悪魔と偽ったペテン師の!これは港町に流れ着いた人魚。そしてこれは、極東の島国で作られた巻物型の書物です」

 好きに手に取ってくださいね、と女は言うと元いた部屋の隅へ戻った。

 照明のせいか、内装のせいか、それとも本のいわくを知っていたせいか。この空間におどろおどろしい空気を感じはじめる。

 最初こそ熱心に本を眺めて居たものの、背景を知れば知るほど胸の奥が疼くように痛んだ、暫くたえてものの、限界を迎え一人部屋の隅の椅子に腰かけた。楽しそうに展示を観るロジェへ、羨望の眼差しを向けることしかできなかった。

 重いため息を吐く。彼の体調を心配してか先ほどの職員がやってきた。

「気分が悪くなられましたか、どうかご無理はなさらず」

 ……すみません。そう返すと職員は優しく語りかけてきた。

「学生さんですか?確かこの時期は卒業制作の予定を立てに来る頃ですものね。今やって丁度よかった」

 聞けば、彼女もまたルリユール学院の卒業生だという。だが装幀師にはならず、蒐集した魔書を展示する活動を行っているのだとか。

「ご一緒している彼は、〈いわく付き〉の魔書に随分と興味がある様子ですね。ふふ、あんなに目を輝かせて。展示の甲斐があります」

 職員の瞳が、僅かに細まった。

「私たちが展示会を開いたのは、魔書とは、一体どういったものなのか多くの人に知って欲しかったからなんですよ。ほら、最近需要が増えているじゃないですか、もっと安く手に入りやすい本をたくさんーって」

 先日、ロジェが言っていたことを思い出し、セザールは頷いた。

「でも、私はそれでいいのかなって思います。今じゃもう習知の事実ですけど、あの本の素材は元は私達と同じ人間ですから。それの数を増やせって意味をもう一度考えて欲しくて」

 魔術師も、罹患者も。結局は同じヒトなのに。

 ぽつりと呟かれた一言に、思わず振り向いた。

「不思議ですよね。何故、魔術が使えないだけで蔑まれ家畜同然とされるのでしょう。まるで、かつての奴隷のように」

 職員の視線は、ぼうっと天井を眺めていた。

「この素体となったヒトたちにも、確かに人生があった。〈いわく付き〉は、それが色濃く出ている分野だと思うんです。この肌に、宿っていた温もりについて……一人でも気がついてくれればって、このアプローチを思いついたんです」

 職員の指が、〈Carmilla〉の表紙に触れる。愛おしそうに滑る軌道に、思わず息を呑んだ。

「……でも、いかんせん建物のせいかなかなか人が来ないんですよ。もしよければ、学生の友人にも声をかけてくれませんか?入館料、学生さんなら安いって宣伝お願いします。ふふふ」

「……わかりました」

「よろしくお願いしますね~」

 人懐こい猫のように、職員は微笑んだ。同時に、展示を見終えたロジェが寄ってくる。

「いやぁ、最高だね。曰く付きの魔書はいつ見ても楽しいや。あれ、この方は」

「この展示会の主催者の方だそうだ」

 職員は立ち上がり、スカートを摘まんでお辞儀する。

「なるほど!展示品、色々見させてもらいました、勉強になります」

 丁寧な礼をするロシェに、職員は微笑みかけた。

「いえ、学生の皆さんの役に立てたのなら嬉しいです。宣伝、お願いしますね」

「はい、もちろん!セザール、店を周りに行こう」

 軽い足取りのロジェは、すたすたと出口へ向かう。職員に礼をすると、その後にセザールも続いた。

 外に出ると、刺すような冷たい日差しが二人に降り注ぐ。暗い空間に慣れていた目が横に細まった。

「あはは、眩しい。セザールは展示会どうだった?何か着想になるようなものはみつかった?」

「……いいや、観るので精一杯だったよ。でも勉強になった」

「そっかぁ」

 前を行っていたロジェは、くるりと振り向き口を開く。

「じゃあさ、セザール。僕と一緒にオペラ座の怪人を本にしてみないか」

「え、」

 唐突な言葉に、セザールは口をぽかんと開けた。

「展示会を見て決めたんだ。僕が作りたいのは人々を震え上がらせるような、狂気的な魔書だ。装幀や逸話だけじゃなく、中身もうんと刺激的なものにしたいんだその題材として、オペラ座の怪人を採用したいんだ。きっと、最高の出来にあるに違いない」

「……君の言いたいことは解る。でも怪人を本にするって、一体どうやって」

 その言葉を待ちわびていたと言わんばかりに、ロジェは口角をつり上げる。

「決まっている。オペラ座の地下に行くんだ」

 地下、とセザールは思わず口にした。

「まさか、自分たちの手で素体を用意しようって言うのかい?」

「当たり前だ。勿論、君の手を煩わせることはしない。君と僕で得意を分担しよう」

 どうやら、彼は一人でオペラ座地下へと向かうつもりのようだ。確かに、彼は実技に関しては優秀だ。魔術の才にも秀でている。だが、致命的に……そう、足りていない部分があるのだ。地図がなければ満足に行動もできない彼が、地下道に潜入するなど、考えただけでも恐ろしい。

「駄目だ、ロジェ。絶対に一人で行ってはいけない……結末が見えている。僕も一緒に向かうから」

 この無鉄砲で考えなしの親友を一人にすれば、次に会うのは棺桶の中だ。それだけは絶対に避けたい。

「でもセザール、君は苦手だろう?こういったこと。僕は平気だからさ」

「逃げてばかりのつもりはないよ。君のように立ち向かうさ」

 自らを奮い立たせるよう、セザールは笑った。

 あの時、職員が呟いた言葉が脳裏をよぎる。

 それでも天秤は、自らの方へと傾いた。

・・・

 オペラ座の地下、知らなければ見過ごすような細い路地に、古びた木製の扉が一つ佇んでいる。この場所を知っているのはこの世でたった三人だけ。決して大きいとはいえないその向こうには質素な部屋があった。

 支配人としての仕事を終えたペトロニーユは、両手に紙袋を抱え、部屋の扉を叩く。古びた蝶番が音を立てて動くと、中からエステルが顔を出した。彼女は、差し出される袋を見て目を丸くする。

「まあ、どうしたのその荷物」

「君のために見繕ったドレスだ。来週の記念公演の時に来てもらうためのね」

 ペトロニーユは袋の中のドレスをテーブルに広げる。ゆうに十数着はあるだろう。流行を取り入れた煌びやかな造りで、使われる素材はどう見ても高級なものだ。

「ドレスなんて、一着あれば十分よ」

「滅多に自分で買い物をしないからね、加減を間違えたのかもしれない。さあ、そこに立って。緑?焦げ茶?白も悪くない。あぁ、迷ってしまうな」

 手にしたドレスを代わる代わるエステルにかざしながら、ペトロニーユは鼻歌を歌う。

「どれでもいいわ、本当よ」

「君はファッションというものをわかっていない。悩むのも楽しみのうちなんだ」

「悩むべきなのは貴方じゃ無いと思うけど」

「もう、少しは黙っていて。うん、やはり君には黒が似合う」

 エステルに手渡されたのはシルク製の黒いロングドレスだった。他とは違う意匠の少ない簡素な形ではあるが、それがより一層、素材の良さを引き立てている。

「綺麗ね」

「これを纏った君は、もっと美しいだろう。ねえ、来て見せてくれないか」

 エステルは「わかったわ」と頷くと、鏡台の前へと向かう。

「本当、ペトロニーユは私に服を与えるのが好きね。お人形遊びが好きだったあの時から変わらない」

「何年も昔のことだ。あまり揶揄うのはよしてくれ」

「貴方にとっての昔は、私にとっての最近よ。私が何百年生きていると思っているの」

「ああ、君の悪い癖だ。そうやってすぐに年齢を盾に使う」

「だって本当のことよ。私が貴方くらいの年齢の時なんて文字を読むどころか、言葉らしい言葉も話せなかった」

 背中のボタンを閉めたエステルは、くるりと振り返る。照明を反射する闇色のスカートがたおやかに揺れた。

「着てみたけれど……大丈夫?どこかおかしなところはないかしら」

 舞うように、くるりくるりと身を翻して見せる。

「美しい。まるで黒蝶だ。お祖父様が地下の籠に閉じ込めたがるのも無理はないよ」

「こら、ペトロニーユ」

「ははは、冗談だよ。じゃあ最後に、此方を」

 ペトロニーユは荷物の中から、平たい木箱を取り出した。深いブラウンに金の仮面の紋章。エステルには見覚えがある。

「これは」

 丁寧に蓋が開けられると、中に入っていたのは一枚の仮面だった。装飾を控えた無駄のない白の仮面は、丁度エステルの右の顔にぴったりに重なる。

「今使っているものは古いだろう。これを機に新調しないか。私が最も信頼する職人に作らせたものだ。着け心地は保証するよ」

「まったく、いつの間に寸法をとったのやら」

 仮面を手渡されたエステルは、今身につけている仮面を外し、すぐさま新たな仮面を顔に添える。軽く首を回し、触感を確かめた。

「どう?」

「ひんやりとしている。心地いいし、顔にぴったりよ」

「それは良かった」

 ペトロニーユが満足そうな表情を浮かべると、背後の時計が鳴った。時刻は午前〇時を示している。

「見回りの時間だわ。行かないと。貴方も明日仕事なんだから早く寝ましょうね」

「はいはい。じゃあ、来週の記念公演楽しみにしているよ」

 ペトロニーユはエステルの手の甲にキスをすると、部屋をあとにした。

「どこであんなものを覚えてくるんだか」

 くすりと笑うと、普段着に着替え愛用の得物を手に取った。

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