第三話/修繕師グレシャムの復讐③【ペンドラゴンの騎士】
三章/復讐者グレシャム
実際に実務訓練が始まったのは、その翌日、パメラが工房にやってきて三日目のことだった。その日、日が昇ると同時に二人は工房に向かい作業を始める。
工房には昨日と同じようにばらされた魔書に加え、同じように分解された牛革の書物が用意されている。その傍らに『事業計画』と書かれた書類が積んであった。その一つに『グレシャム技法を説明できるようにする』と綴られている。
「さあ、まずは私相手に具法の説明練習してみましょう。アガサさん、心の準備はいいですか」
アガサは、一晩で纏めたメモらしきノートを、パラパラと捲り首を傾げている。どうやら、彼女は訓練生がグレシャム技法をやりたがるとは思っていなかったようで、ろくに作業内容を纏めていなかったらしいとのこと。
「きっと、説明だけ聞いて、あとはお手伝いだけかと……」
パメラはそれを耳にしたとき呆れたが、自分もまたグレシャムを教わる気が無かったことを思い出し、咎めるのはやめにした。
「どうしましょう、実技の教え方というのがいまいちピンと来ないわ……どうすればいいのかしら。口頭だけじゃダメなのよね」
「あの、一応実務訓練の受け入れ先なので、しっかりしてくれませんか。ほら、アカデミーで教わった時を思い出して。好きな授業の教官とか」
「好きな授業の教官……」
頑張ってください、とパメラは小さな握り拳を作る。
「ええ、少しやってみる」
大げさなほどに深呼吸し、アガサは竹尺を手に取った。
「そうよねぇ、とりあえず、一通り作業を進めて手順を頭に入れていきましょう。そのあとからじっくり、工程における注意点を説明しましょうか」
そう言って、アガサは牛革の表紙を手に取った。練習用に本物の魔書を使うのはいかがなものかと、昨日パメラに問われ、至急用意したものだ。
「分冊は、どうしても素材が足りなくなってしまう。だから、本来表紙で使われていた革を分割するの。表と裏で、一冊づつ。そしてインデックスに使われて居たものを分冊後の裏表紙として使いましょう。そうね、感覚としてはドイツ式くるみ製本(表紙背表紙裏表紙が分離している形式の製本)を想像してもらえるとわかりやすいかもしれないけど……」
「ご安心を。この私、授業は無遅刻無欠席且つ万年最高評価です」
「それはよかった」
彼女は慣れた手つきで装飾を外し、表紙を二枚の牛革へと変化させた。ナイフを使う手、折り目をつける篦使い、全てに無駄がなく洗練されている。パメラは目を丸くし、師の作業を凝視していた。
つい先ほどまで、ふわふわと首を傾げていた人物とは思えない。まるで、人が変わったようだ。
「大体は二冊に分けるんだけど、依頼された本によっては魔書そのもののサイズを縮小して四冊、六冊と増えていくこともあるの。時間はかかるけど、その分沢山お金がもらえるわ」
「ほ、殆ど装幀じゃないですか」
修繕と呼ぶには、余りにも創造的すぎる。
予想はしていたが、工程が通常の修繕と全く異なる。アカデミーのカリキュラムで、装幀についてもある程度履修していたが、その程度の知識では全く刃が立たない。
「ええ、そうね。そうみたい。私、小さい頃からずっとグレシャムしか見てこなかったから、学校に行ったとき驚いたわ。ふふ、面倒でしょう? 廃れて当然よねぇ」
雲のように笑いながら、アガサは作業を続ける。その間、パメラは、メモを取ることすら忘れ、食い入るように積み上がる工程を見つめていた。
気がつけば、一週間の時が経過していた。パメラはすっかりと工房に馴染み、片時もアガサの隣を離れようとしなかった。いつしか、グレシャムへの抵抗感や嫌悪はすっかりと消え去り、今では進んで作業の手伝いをしている。アガサも、彼女がここまで活動的になるとは思ってもいなかったようで、驚きつつも嬉しそうであった。
「少し、休憩をしましょうか」
アガサの言葉に、パメラは「えぇ、」と不満そうに頬を膨らませる。
「あと少しなんです。十分ほど作業してからじゃだめですか」
「休憩は必要だって、教えてくれたのは貴方でしょう。さ、こっちへいらっしゃい」
見ると、美味しそうなクッキーと紅茶が用意されていた。甘い香りに包まれたパメラは、よろよろとソファーに向かう。ティーカップを受け取ると、檸檬の香りが、ふわりと漂ってきた。
「貴方からもらった檸檬を少し借りてみたの。昔メイドから教わったアメリカ風の紅茶よ。邪道かしら」
「いいえ、好きな味です! さっぱりしていて、食事にも合うかも」
よかったわ。
「あの、よければなんですが。このレシピについて教わりたいんですけど」
「ならメモに取っておきましょうか」
「いいえ。このレシピを知った、当時のこと」
パメラの言葉に「なるほどね」と微笑み、アガサはぽつりぽつりと、昔のことについて話し始める。
「私が幼い頃、ここから少し離れたところに住んでいたの。広いお庭があるような、お屋敷ってかんじの家。私は昔からあまり要領がよくなかったから、大きな屋敷の中でいつも迷子になっていた。びしょびしょに泣いて怒られて、その後に、私を哀れんだメイドが淹れてくれた檸檬ティーが大好きだったの。紅茶の淹れ方を教えてくれたのも、彼女だったのよ。たくさん、たくさんの思い出がそこにあったわ」
でも、心残りはないのよね、不思議だわ。
「大きなお屋敷だったのに?」
「ええ、楽しいこと以外にも辛い思い出もたくさんだし、父のこともあったわ。メイドと弟のこと以外、あまりいい記憶はないの。ふふふ」
諦めきった、アガサの言葉。憂を帯びた、善くありながら渦巻く黒い渦のような感情。瞬間、パメラはここ数日間、彼女に感じていた違和感の正体にたどり着いた。それを口にしていいものか一瞬悩むも、彼女の好奇心とアガサを知りたい、そんな気持ちは抑えられなかった。
「……もしかして、グレシャム技法を継がないつもりだったんですか」
突然の一言に、ポカンと形のいい唇が呆けていた。
「あら、それはどうして」
「なんというか、アガサさんのグレシャム技法に対する感情が淡泊だというか、どことなく達観しているような気がして。もしかしたら……って思ったんです。気のせいでしたら、ごめんなさい」
修繕師の殆どは、自分の技術に誇りを持っている。彼女の場合、少なくとも国内では唯一無二の技術を手にしている。だが、アガサは一度もグレシャムの技術を誇りに思っていたり、尊ぶような発言をしているのを見たことがない。言及したと言えば『有用性を知って欲しい』という、どこか淡泊な意見だけだ。
そう言うと、深い緑色の瞳は静かに俯く。
「……鋭いわね。それとも私がバレバレだったのかしら」
「よければ、聞かせてもらえませんか。理由」
パメラが言うと、アガサは嫌いにならないでね、と前置きし寂しげに口を開く。
「私にとっては、グレシャムの技術は道具、復讐のための道具」
復讐。穏やからしからぬ言葉に、思わずパメラは身構えた。
「この言葉を聞いたことはあるかしら『悪辣な品は、良質なそれを駆逐する』。不思議ね、私達の先祖と、この言葉を残したトーマス・グレシャムは同じ姓だった」
アガサは、さきほど修繕を終えたばかりの魔書を手に取り、じっと見つめた。
「魔書を解体し、新たな魔書を作り上げる……それが私たち一族が受け継ぐグレシャム技法。本来の魔書を解体し作り替えるという冒涜的行為、劣化版の大量生産、嫌われている理由は沢山あるわ。私も、小さい頃はこの技法が大嫌いで、でも父の言いつけを破る事なんてできなくて。ずっと、引きずられるようにして習い続けていたの。父が死んだとき、不謹慎だけど嬉しかった。ああ、これで全部終わりだ。好きに生きれるって」
でもね、現実っていうのは厳しいわ。
「やっとの思い出借りた一軒家で、私はグレシャムではないただの修繕師として仕事を始めた。当時何も分からなかった私は、雀の涙のような報酬で依頼を受けていた。馬鹿みたいだけど、今思えば搾取されていたのよね。でも、私は喜んで作業したわ。利用されているとも知らず。勿論父が作った借金はろくに返せず、利子が膨れ上がるばかり。でも、ある日、全て変わったの」
ヘイデンが、事故で右目と右腕を失ってしまったの。
彼女の弟、ヘイデンはかつてアガサと同じようにグレシャム技法を受け継ぐ修繕師になる予定だった。だが、正義感が強く武術の腕も申し分ない。家のしがらみも無くなった今、手先の技術を極めるより、運動神経と魔術の腕を生かして前衛騎士団や守護騎士団になればいいと言ってしまった。
「そう助言した、私がいけなかったの」
それは、半年前の出来事だった。偶然外を出歩いていたヘイデンは、違法魔書の使用現場に居合わせた。彼を身を挺して住民を守り、結果、一生癒えない傷を負ったのだ。
「私は騎士として弟が誇らしかった。でも、それ以上に私自身を恨んだわ。今の英国には、違法魔書が出回っているのは知っているわよね。多くの人々が安価だと言う理由で違法魔書を手にしている。そして多くの人が違法魔書の被害に遭っている。ヘイデンは、その被害者の一人になった」
当時、グレシャム家には全くお金がなかった。自分がもう少しちゃんと働いていれば、弟に新しい目と腕を買ってあげられるかも知れない。そうアガサは考えた。
だがその時、世間も何も知らない私の元にあったのは、グレシャムの技術だけ。グレシャムは一冊の修繕に時間はかかれど、数倍の依頼料を受け取ることができる。
金を得るにはこれしかない、と意気込んだ彼女は、もう一つの事実に気がついた。
グレシャム技法は劣化版ではあるものの、安全性は通常の魔書と同じ。暴発する心配は無い。もしも、違法魔書の代わりにグレシャム式魔書が出回れば、違法魔書による被害を減らすことができるのではないか。幸いグレシャム技法にかかる修繕費そのものは、魔書の装幀の十分の一程度だ。販売されている違法魔書の金額とさして変わらない。作り手が増え、単価が下がればもっと手に取りやすいものとなるだろう。誰だって、同じような値段で安全性の高いものがあれば、そちらを購入するだろう、と。
だが、作り手が少ない今は希少性ゆえに価格が高騰しているが、もし技術を持つ職人が増えることがあれば。
「大きな金貨を溶かし、溶けたもので小さな金貨を作る。たしかにそれは、作り手への冒涜かもしれない。でも、もう使えなくなった魔書が私の手を経てもう一度、新たな魔書として息を吹き返すことができる。そして、今起きている犯罪がなくなるのなら、これ以上に素晴らしいことはない」
そう思ったの。
アガサは、紅茶の最後の一滴を飲み干した。
「それが、私がグレシャム技法を使い続ける理由。とても小さく纏めてしまえば、その、復讐みたいなものね。少し変かも知れないけど、そういうこと。ふふ、でも現実は甘くないのね。生活は一向によくならないわ。借金を返して借りて、また返しての繰り返しだもの」
自虐的に笑うアガサは、明らかに無理をしていた。きっと、いままでフワフワした態度を取ることで、平常心を保っていたのだろう。その姿は、どこか痛々しくも美しく、パメラの瞳に映った。
ああ、自分はとんだ誤解をしていた。
ゆっくりと、細い肩に寄りかかる。アガサは「あら、」と微かな声で言った。
「どうしたの急に。驚いたわ」
「いえ。いえ、少しアガサさんが。やっぱり何でもありません」
振り絞るような声に、何故、と返答がされる。
「貴方の復讐に。あ、あの、誤解しないでください! これは、私がその、計画にビジネス敵可能性を感じ興味を引かれたからでして、わっ、」
突如、パメラの体が柔らかな熱に包まれた。身動きが取れず、混乱した思考を整理すると、自分がアガサに出し決められていることに気がついた。
「アガサさん、その」
「きっと、嫌がられると思ったから」
もしかして、自分は満更でもないと思っているのかも知れない。
「いやなんかじゃありません」
貴方の心ですから。
早期が着いたパメラは抵抗を止め、自分の手をアガサに添えた。もう少し、このままでいれるように願って。
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