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第二話/ブラッド・ルージュの誓い③【ペンドラゴンの騎士】


三章/異端の子ども


 物心ついた時から、他とは違うと自覚があった。違和感と言うべきだろうか、他の同年代の子供と居ても、本能的な疎外感を感じてしまう。それが幼き日のアンリの悩みだった。

 何故か、薄々勘づいていた。異常なほどの食欲、十二歳を越えても使えない魔術、指一つで何でも傷つけてしまう並外れた腕力。一時は獣の身であると勘繰られるほど、彼女の能力は突出していた。

 中でも、自身の瞳の奥に宿る獣性。それが一人の友人の、ただ一人の友人の人生を変えてしまったのだ。

「ねえ、アンリ。海に行きましょう」

 ふんわりと靡く、ブルネットの少女。少し年上の彼女は子ども達の輪から外れていたアンリを、いつも気に掛けてくれた。私、お姉さんだから、とよく分からない理由を添えて、一人ぼっちの獣の子の頭を優しく撫でてくれたのだ。

 彼女の名は、ラウラ。アンリにとって幼少期における唯一の友であり、の大好きな人だった。

 彼女たちは毎日のように海へ行き、日が暮れるまで遊んでいた。他愛無い、何でもない。かけがえの無い時間。いつまでもそんな日々が続けば良い、だなんて空想したりもした。

 勿論、『いつまでも』なんて日々は存在しなかった。断絶というものはいつの間にか間近に迫り、二人の間に亀裂を差し込んだ。

 その日もラウラとアンリは海岸に訪れていた。徐々に紫色に変わる水平線を眺め貝殻集めに夢中になっていた。

「ねぇ、アンリ。この貝殻綺麗でしょう」

 ラウラが持ってきたのは、大きめの巻貝。彼女はそれを耳に当てるように言う。ごうごうと静かな空気の回る音に、ラウラは自慢げに補足するのだった。

「これはね、海の声って言うんだって。私のお父さんが言っていた。貝殻は海の声を閉じ込めて陸にいる私たちに届けてくれるんだって。もちろんおとぎ話なんだけど」

 照れ臭そうに笑うラウラだったが、アンリは夢中になって海の声を聞いた。

 もし本当にこれが海の声であれば、一体何と言っているのだろうか。私たちに何と伝えようとしているのか。そんな空想をラウラに話すと、彼女は驚いたように目を丸くする。

「そんなこと考えたこともなかったわ。そうねぇ、アンリはどう思う」

 訪ねられたアンリは「きっと鯨が喋っているんだ思う」と答える。

「仲間を呼んでいるんだ。陸の方に迷い込んだ仲間を探しているんだ」

「へえ、面白い。私はね、妖精の言葉だと思うなぁ。海の妖精。陸にいる恋人へ送るための声だったり!」

 随分とロマンチックな空想だ。それも素敵だね、とアンリはいうと、少し年上の少女は照れ臭そうに笑うのだった。

「ねえ、お嬢ちゃん。貝殻はいかがかしら」

 その時、突如として一人の老婆が現れた。ここは小さな村だ。住民の顔と名前は大方覚えている。だが、その老婆には見覚えがなかった。アンリは訝しげに眉を顰めるも、ラウラは意気揚々と声を上げる。

「貝殻をくれるの。やったぁ、貰いに行きましょう、アンリ」

「ラウラ、でも。知らない人から何かを貰っちゃ駄目だって」

 それは、村の人々からきつく言われていることだった。人攫いに遭うと何度も何度も聞かされている。

「大丈夫よ、きっと。優しそうなおばあさんだもの。ねえ、私にも一つくださいなっ」

「待ってラウラ!」

 一人走り寄る友の背を追い、駆け出そうとしたその時。老婆の影が歪んだ。

「え、」

 アンリには一瞬、何が起こったか理解できなかった。夕暮れの砂浜、伸びる影、その先端に立つラウラの体が、何かによって縛られてたのだ。暫しの思考のあと、正体を理解する。黒く濁ったそれは、影。

「い……や、苦しい……ッ」

「ラウラ!」

 苦しみ藻掻く彼女に、アンリは叫ぶ。老婆はしわくちゃの顔を歪め、醜くほくそ笑んでいた。

「よい子だ、よい子だ。私に相応しいよい子だ」

 しゃがれた声を絞り出し、くつくつと笑う。

「ラウラを返して!」

「なんだ小娘。お前は要らん」

 気がつけばアンリは、砂浜を駆けていた。老婆へ向かい、ただ一心に。
 頭にあったのは、ただ友を返してほしい。それだけ。

「小癪なガキだ」

 影が一つ、不自然に伸びた。するりとアンリの脚元に向かい伸びゆくが、怒りを帯びた踵で蹴り飛ばす。すると老婆の叫ぶ声がした。

 瞬時にアンリは理解した。ああ、これは。彼奴の体なんだと。

 それからは瞬く間。襲いかかる影の手を、振り払い、蹴り飛ばし、へし折り、砂浜を進。老婆の顔も徐々に余裕をなくし、よく分からない奇声を上げ始めていた。

「ガキが、死ね、死ね!」

 攻撃が苛烈になるにつれ、ラウラの悲鳴も泣き叫ぶようなものになっている。彼女にも苦しみが及んでいるのか、それとも恐怖ゆえなのかはわからない。だがこの時、アンリの中に一つの感情が芽生えていた。許さない、許さない。大切なラウラを傷つけて、泣かせて。

「謝って」

 気がつけば、アンリは老婆を砂浜に押しつけ、見下ろしていた。全身が痛い。腕には青紫の痣ができ、片足にはもう感覚が無い。それでも、ラウラのことを思えば、耐えることができた。

「この儂を傷つけ、何様のつもりだ」

 負け犬の遠吠えが、耳に響く。不快な声は、ただ苛立ちを高めるだけだ。
「謝って。ねえ。ラウラに謝って」

「小癪なガキめ、邪魔するな! 貴様のような混じり物に……」

 その時、私の理性は音を立てて切れた。

「……ん、はぁ……っ」

 気がつけば、思い切り老婆の喉に噛みついていた。鼓膜を貫くような断末魔と共に、じくじくと血がしたたり落ちる。口の中に満ちる鉄の味に嫌悪しながらも、その動きが止まるまで、歯を立てる。

 食わなきゃ、殺さなきゃ。

 本能が支持するその通り、アンリはその身を委ねる。

 食べて、食べて、食べて食べて食べて。

 美味しい。

 日が暮れた。

 いつしか老婆は動かなくなり、ラウラを縛る影も消えていた。

 ああ、全て終わったのだ。アンリは胸を撫で下ろし、顔を上げた。

「ラウラ」

 覚束ない脚で立ち上がり、ゆらりと顔を上げた。口から滴る生ぬるい液体を拭い、砂地に横たわる友へ手を差し出す。

「ラウラ、だいじょうぶ……」

「来ないで!」

 ぱしん。

 差し出した手が、弾かれる。覚えきった顔が真っ直ぐアンリを見つめていた。

「化け物、怪物! 近寄らないで!」

「ラウラ?」

「大嫌い!」

 吐き捨てると、ラウラは走り出した。そのまま浜辺を立ち去り、一人残された私は呆然と幕を下ろす藤紫の帳を背に立ち尽くしていた。

 その間、何があったかはよく覚えていない。沢山の大人がやってきて、「何をやったんだと」取り囲まれて、気がつけば家へとつれて行かれていた。そしてボロボロとこぼす涙に一言もしゃべれないまま、父の腕の中に収まっているのだった。

「わたし、私……なにがダメだったの。ラウラを、ラウラを助けたかっただけなの」

 大きな手が頬を伝う滴を拭い、優しく頭を撫でる。

「アンリ、かわいいアンリ。君は正しいことをしたんだ。友達を守ったんだ」

 父は穏やかな声で言うのだった。

「でも、でも、」

「ああ、怖がられてしまったね。でもきっと、誤解だって分かってくれるはずだ。まだこの村、特に子供たちはアンリの体についてあまり詳しくない。ちょっとした勘違いをしていただけだ」

「そうよそうよ!」

 スープ皿を両手に、母が食卓にやってきた。

「あんたは強い。最高の娘だよ! 大好き大好き」

 母は父ごとアンリを抱きしめ、頬にキスをした。そしてぐしゃぐしゃと頭を撫で、閃いたようにピンと指を立てる。

「そうだ、思い切ってロンドンに引っ越しちゃいましょう。それでさ、母さんが昔通っていたアカデミーに行ってみない?」

「あ、アカデミー?」

 父は「それはいい」と微笑んだ。母曰く、ロンドンにはアンリのような体質のものが集まる学校、通称アカデミーがあるという。母もまた、その学校出身だとか。

「一回騎士とか目指してみない? そうすれば皆、アンリの強さにびっくりするわ。きっと受け入れてくれるはず」

 そこでは誰もが平等に教育を受け、その力を存分に意発揮することができる。そして、卒業すれば国を守る騎士として勤めを果たすことができるのだと。

「素敵だと思うけど、決めるのはアンリだよ」

「わかってるって。でも選べる道は多い方がお得よ」

 ね、と母は笑って見せる。

「騎士になれば、ラウラは私を許してくれるの」

 父は首を傾げた。実に悩ましげな表情であった。

「どうだろうか。でもきっと、アンリは怖くないって思ってくれるんじゃないかな。騎士は皆を守るものだから」

 そうして、アンリは騎士になった。ラウラが自分を認めてくれることを信じて。

 騎士団は居心地が良かった。誰も私の力を恐れる事は無く、それどころか立派だと褒め称えてくれた。悩みを共有できる仲間も、同じような体質を持つ仲間も多く居る。

 ああ、ここには居場所がある。

 そう自覚したとき、アンリの胸には幸福で満ちあふれた。だが、同時にかつての村の事も思い出す。今思えば、村人たちが自分を避けていた理由も分かる。あの時は異常な子どもだった、親が子を遠ざけようとするのも仕方が無い。

 だが時が経ち、訓練を経て厭離は成長した。成人し、力も感情も十分制御できるようになった。今ならきっと、あの時の誤解を解くことが出来る。きっと、ラウラは私を許してくれるはず。そんな想いを日に日に募らせていったのだった。

 ある日、大戦への出兵が決まった。その間僅かながら暇を貰い、束の間の休息の機会を得ることになった。そこでアンリは故郷の港町へと脚を伸ばすことになったのだった。周囲にはいい顔をされなかったが、止められはしなかった。彼女自身、これが良策ではないと分かっている。でも、戦地へ赴く前に心の蟠りを解いておきたい。そんな気持ちが捨てられなかったのだ。

 帰郷当日。列車を降り潮風を浴びたアンリは安堵した。目の前に広がるのはあの日から何も変わらない風景、人々、そして香り。ゆっくりと村を見て回るも、人々はアンリに気づくことは無い。背丈も伸び、顔つきも大分大人になったせいだろうか。誰か一人くらい思い出してくれないだろうか。

 そう心の中で呟く中、見覚えのある人影が一つ。思わず脚を止めた。片手にはバスケット、もう片手には幼い子どもを連れ、穏やか名表情を浮かべている。

「あ……」

 思わずアンリは呟く。するとその人物首を傾げ、不思議そうに言った。

「あら、どちら様」

「ラウラ……」

 ふんわりと広がるブルネット、ぱっちりとした瞳。間違い無くラウラだった。

「どうして私の名前を……」

 彼女は美しく成長していた。あの時と変わらない、穏やかな微笑みは、ゆっくりとアンリの心の表面を溶かしていく。

「ラウラ、覚えている。私だよ」

「え、」

「アンリ。アンリ・フレッチャー。小さい頃によく遊んでいたの。急にロンドンに引っ越して碌な挨拶が出来なかったけど……」

 バスケットの卵が、石畳に割れた。同時に周囲の人々の視線を一手に集める。

「思い出し、」

「来ないで」

 唐突な拒絶だった。

 思考が、止まった。

「ラウラ」

「来ないで、来ないでよ化け物! 覚えているのよ、あんたが何をしたか! 人を食べたのよ!」

 人を食べた。その言葉に周囲の人々はざわつき始めた。アンリの耳に、話し声が入る。

 ああ、あれは……

 やっぱり見たことがあると思えば、あの家の……

 人を食べたって子どもか。

 ああ、逃げるように引っ越したのを覚えている。

「違う、ちがうよ。私は……」

 待って。そういう間に、ラウラは逃げ出してしまった。無残に割れた卵に視線を落とし、日が傾くまで、佇んでいたのを覚えている。その間、延々と刺すような視線を浴びながら。

 あの日以来時折、夢に彼女が……ラウラ現れる。幼き頃のあの日の姿で。怯えた視線は私を捉え、くるりと逃げ出すのだ。

「待って!」

 アンリは絶えきれず、いつもその背を追う。だが、決してその間は縮まらない。脚は鉛のように重くなり、ずしりと地面が纏わり付く。

「待って、待って、ラウラ」

 来ないで。

 縋るように追いかけるも、幼い彼女はアンリを突き返す。

「あとどのくらい、どのくらい戦えば許してくれるの。ラウラ。私ね、沢山助けたよ。沢山、守ったんだ」

「アンタみたいな怪物。生きているだけで迷惑なの。またいつ喰い殺されるかもわからない」

「食べないよ。食べてない、あの日からずっと」

「そうとは限らないじゃないの。次が今かも知れない!」

 そして決まって、この言葉を放つのだ。

「もう来ないで。私はアンタが嫌いなの」

「ラウラ!」

 アンリは叫ぶ。だが怒りの形相のまま、ラウラは暗闇に消えていく。

 人を傷つけることしかできない怪物。

 アンタなんか、死んでしまえばいい。

「待って、私はどうすれば良いの」

 あと何人守れば良いの。あとどのくらい戦えば良いの。

 戦って死ねば、許してくれる?

 どうすれば、

 どうすれば、

 どうすれば……

「おいアンリ、アンリ」

 暗闇の中、呼び声がする。

「うぅ……」

 肩を揺さぶられる振動で目を覚ます。

 目を開けると、視界いっぱいに身慣れたトカゲ面があった。

「ウンウンうなされていたぞ。お医者を呼ぶか」

「いい。少し嫌な夢を見ただけだよ」

「そうか、そうならよかった。水飲むか」

 うん。

 日光ですっかり温くなったコップに一口、口をつける。潤いを満たすだけの水が、這うように喉を滑った。

「そういやあのガキンチョ、最近来てるか」

 ガキンチョ、ジェフのことだろうか。

 アンリは首を横に振った。

「そうか、寂しぃなぁ。前も、その前に来たときも会えなくてヨォ。いっぱい遊んでやりたかったのになぁ」

「ビリーが遊びたかったんじゃなくて?」

「違う、違うってば。ほら、騎士として、未来に生きる子どもの健やかな成長を手助けしようとナ、なぁ」

 いつの間に難しい言葉を覚えてきたんだね。その言葉に、ビリーはそっぽを向いた。

「俺を舐めて貰っちゃ困るぜ。ははは、でも思ったより元気で良かった」
「どうして。私はこんなにピンピンしているのに」

「お医者たちが言ってたぜ。急にしょんぼりし始めたって。きっと、向こうからすれば脱走の心配が無ければいいんだろうけどよ」

 がはははは、と豪快な笑いが病室に響く。余りの大声に他の患者達が、何だ何だと視線を向ける。

「ビリー、病院だから静かに」

 窘めると、大きな方がしゅんと垂れ下がる。思わず、クスクスと笑みがこぼれた。

 元気、か。

 どうやら自分は、第三者から見れば随分としょんぼりして見えるのだそうだ。特に自覚はないとすれば、無意識。考えられる理由は、ただ一つ。

 ビリーにも聞こえないほど静かに、言った。

「やっぱり、怪物は嫌なのかな」

 赤い赤い、林檎の頬が目に浮かぶ。

 ジェフ、もし会いに行ったら、君は私を嫌うだろうか。

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