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「なんかしたい」は希望の兆し〜合同会社なんかしたい 清水大樹〜

京都の今を生きるU35世代の価値観を集めたメディアです。
次期「京都市基本計画(2021-2025)」を出発点に、
これからの京都、これからの社会を考えます。

大学生の仲間たちと運営している教育事業、コミュニティスペースの運営、企業の研修・企画と言った事業を通して、社名のとおり自分や周りの人の「なんかしたい」という想いを形にしてこられた清水大樹さん。

今回は、清水さんが大事にされている価値観 「# 愛と力の両方が必要」「# 日常の他愛もない人との関わり合いが人の豊かさに直結している」 「# 社会でなんかしたい」 に迫ります。


─── 普段どういうお仕事や活動をされているのか、教えてください。

清水大樹さん(以下、清水):合同会社なんかしたいは、大きく分けて3つの事業をやっています。
1つ目は個別指導塾「学んだ先が見える塾 まなびのさき」と「宿題も安心の学童保育 あそびのば」で行なっている教育事業、2つ目が大学生を中心としたコミュニティスペース「agora」の運営。そして3つ目が、社会との接点を持つ場として、企業の研修・企画・クリエイティブ事業を行っています。


─── なぜこの3つの事業をやろうと思ったのですか?

清水:大学生が、自分のことや社会のことを本音で話す場をつくりたい、そして、大学生が社会で実装していける力を身につけたいと思ったことがきっかけです。大学生が対象なのは、当時の自分が大学生だったからですね。
大学生が社会で実装していく力を身に付けながら、自分のことや社会のことを本音で話す場を運営するには持続可能という意味でどうすればいいかと考えた結果、個別指導塾という既にマーケットがあることを引っ付けてやってみたというのが始まりでした。

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大学生の当時、大学生活をものすごく楽しんでいる人と、大学生活が憂鬱で後ろ向きな発言ばかり出ちゃう人のどちらもいることを感じました。どちらが良いということではないんです。でも、死にたいと思ったり、鬱になっていく友人たちも沢山みて、自分の世代が未来に希望を持てずに学生生活を送っていくことは苦しい、なんとかしたいと思ったんですよね。


─── なぜそのことを課題と捉えて動こうと思えたのですか?そのきっかけは?

清水:大学2年生、ちょうど3年生になる直前に日本一周の旅をしたのが大きな経験だったと思います。
特別なきっかけがあったわけじゃないんですけど、なんとなく自分が狭い世界で生きている気がして、視野を広げたいなぁと思っていました。あと、どんな人とでも世間話が盛り上がる人になりたかった。それができれば良い営業マンになれると思ったんですよね。そうしたこともありヒッチハイクで旅にでました。

ヒッチハイクをする中で、乗せていただいた方みんなが優しかったんですよ。初めましてなのに、気づいたら仲良くなっていて。色んなお話をした中で、「次の世代を頼む」と言う言葉をもらったことが印象に残っています。

当時、田舎から都会に出てきた大学生の僕は、いかに小金持ちになり、田舎で家族を作り、裕福に生きていくかを考えていました。自分のことしか考えていなかったんでしょうね。自信も無かったので。

「次の世代を頼む」という言葉をもらって初めて、自分が次の世代に残したいことは何か、この世界でやりたいことは何かと考え始めました。
それが一番最初に、社会に「なんかしたい」と思ったはじまりです。
車に乗せてくれる方々が、初めましての僕にも親切で優しくて、行く先々でまだ知らない景色があることに気づいたんです。自分が小金持ちになるための修行としてヒッチハイクで旅に出たら、人の優しさと地球の美しさみたいなものを感じて、次の世代、人のために何ができるだろうと考えるようになったわけです。

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考えていく中で、単純に死にたいと思っている人が減ったらいいな、幸せだと思って生きてる人が増えたらいいなと思うようになりました。
そうなると次に出てくる疑問が、「じゃあ、幸せって何?」ということでした。
きっと幸せの定義は人によって違うだろうと思ったので、この旅でこれから出逢う人全員に聞いてみよう、と。
そこで、旅の目的が「雑談力をあげること」から「幸せのかたちを探すこと」に変えることにしました。

ヒッチハイクでの別れ際に、一つだけ質問いいですか?あなたにとっての幸せってなんですか?と聞いてスケッチブックに書いてもらったんです。
当時の僕の想像では、「大金持ちになる」「ベンツに乗る」とかそういう答えが返ってくると思っていたんですよ。
でも実際にみなさんがスケッチブックに書いてくれた言葉は、すごく日常にありふれた「え、そんなこと?」ということばかりでした。
例えば、「家族と一緒にいる時が一番幸せ」「日々笑って過ごせること」などなど。
日常の他愛もない人との関わり合いが、人の豊かさに直結しているんだと日本一周の旅の中で感じました。これは、今やっていることの原体験だと思います。

(その詳細は、こちらのnoteでご覧いただけます)

─── 旅の終わり方は決めていたんですか?どのように終えられましたか?

清水:旅の終わり方は決めていなかったですね。少し話が逸れるんですが、旅に行く直前に「自己中になる」ということは決めていました。

それまでの僕は人の目を気にして、よく思われたいと思って生きてきたところがありました。そのせいか、人に自分のやりたいことを話していても、「清水くんが本当にやりたいと思っているようには聞こえない」と言われたり伝わらなかった。だから、他人の目を気にせず自己中心的になろうと決めたんです。それからとことん自己中になった結果、人に感謝できるようになったんです。

それまではというと、自分のやりたいことではなく誰かのやりたいことをやっていたんでしょうね。だから「やってあげている」という気持ちがありました。でも、自分のやりたいことをやっていると、「やらせてもらっている」に変わるので、自然と感謝できるようになりました。そうして、ちょうどお金が底を尽きかけた頃に、仙台でアーケード街に俯きながら座り込んで「自殺したい人相談にのります。もしくは、のってください。」というスケッチブックを持っていた少年に出会いました。彼を見ているだけで、何もできない自分に気づくと同時に、自分の周りにも悲しんでいる人がいるんじゃないか心配になったんです。それからこんなことをしている場合ではない、京都に帰ろうと思いました。


─── どんなことに取り組まれたのですか?

清水:帰ってきてからは実はめちゃくちゃ悩みました。
どんな社会になれば、自殺を考える人がいなくなるのか?そのために自分は何ができるのか?それを自分がやることの意味は何か?と悩みに悩みました。考えれば考えるほど、思いつくことは誰かがもう既にやっているんですよね。

でも、悩んでいても何も変わらないので、とりあえずやってみようと。
元々やりたいことだった「損得勘定のない仲間をつくること」と「社会で実装の為の学び合う場を作ること」に立ち返り、イベントをやることにしました。当時はワールドカフェ*などのワークショップイベントが流行り始めた頃でした。答えがないことを語り合う場作りをたくさんやりました。
*カフェでお茶を飲んでくつろいでいるようなリラックスした雰囲気で会議をする手法


─── その中での気付きを教えてください。

清水:愛も力も必要だと気付きましたね。たくさんイベントをやってみて、大げさに聞こえるかもしれませんが、対話は世界を救うと思いました。対話の中で、受容があることと視点が増えること、さらに考えが深まる。その場には愛を感じて希望だと思いました。

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でも、その矢先、東日本大震災が起こりました。今すぐにでもボランティアに行きたいという衝動にかられましたが、その時の僕は、弟に借金をしていたぐらいお金がなかったんです。現地にいくお金もなければ、現地でご飯を食べることすらできない。これでは行っても助けられるのは自分じゃないと思った時に、愛や想いだけじゃ力になれないということを身にしみて感じました。

3月11日の夜22時をすぎた頃に、ようやく今何が起こっているのかということが掴めてきました。いてもたってもいられず周りに声をかけ呼びかけたら、翌日のお昼に大学生が150人も集まってくれました。

そして、そのメンバーで被災地に行かなくてもできることを一生懸命考えました。1週間で1000人もの人がメーリングリストに参加してくれ、1000万円の寄付が集まり、沢山の取材もしていただきました。

でも、残ったのは無力感と虚無感だけでした。なんというか手応えがなかったんです。
きっとそれは、評論家っぽいことをやっていたからだと思います。
お金のない僕らが現地に行っても邪魔になるだけだと考えた結果、ずっと関西に留まったまま、どうするべきかという対話を繰り返していたんですね。

僕たちは「話すこと」に意味があると思っていたけれど、「話したことを届ける力」も必要だと実感しました。

だから、愛も力も身に付ける必要がある、と。それは当時から約10年経っても毎日感じていることでもあります。そこで僕は「力」を身に付けることにしたんです。


─── 「力」を身に付けるために何をされたんですか?

清水:まずは、お金を稼ぐことに振り切ってみました。大学3年生の冬に、完全歩合制の営業のお仕事をはじめたくさん稼がせてもらいました。しばらく続けてみた時に、この仕事は人を幸せにするのだろうかとふと考えたんですが、この商品で人の幸せにはさほど関係ないんじゃないか、と思ったんです。


それから僕は、人の幸せに直結し、人と人との関係性を紡ぐ仕事をしたいと思ったんです。そして仕事を通じて、関係性を感じられる場を作ると決め、僕が大学4年生の時に教育事業の立ち上げをさせてもらうことになりました。

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───合同会社 なんかしたいを通じてやりたいことは?

清水:やりたいことがない、夢がない、なんかしないといけない、どうしていいかわからない、ということで悩んでいる人たちの相談を1000人以上受けてきたんですね。
そこから感じたのは、「なんかしたいな」って思ったその気持ちそのままにアクションが起こるところに貢献したいということです。「なんかしなければならない」とか「失敗してはいけない」というハードルを取り除きたい。ゆるく集まり、熱くなるをつくりたいです。


───どんな人に向けてその言葉を届けたいですか?

清水:もちろん全ての世代なんですが、まず届けたいのは自分が「普通」ということに悩んでいる若者です。
教育を受ける中で、大人の言うことを聞いて努力することが正しいと思えるようなものがある。けれど、大人になると突然全ては自己責任だと言われてしまう。勝手に引かれたレールを急に外される世の中が待っていたりするんです。
彼らは、大人の言うことを守って一生懸命やってきました。一方で、自分のやりたいことを表現するのは苦手です。そんなことは許されないと、自分を枠にはめてきたところがあるんです。
だからこそ、自分を表現することができたらいいなと思っています。
先日、ある人からもらって印象に残っているのが「世の中は干渉可能である」という言葉です。平々凡々に、でも敷かれたレールに一生懸命に乗って生きてきた人たちに、世の中は干渉可能だと実感してほしい。
そのために、私たちが提供する学びと企画を通して、表現してもいいんだ、何かをはじめられるんだという経験をしてもらえるよう精進します!

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インタビューを終えて
どのエピソードからも、自分がなぜそれをしたのか、そこから何を学び、これからどう活かしていくのかということを言語化されていた清水さん。多種多様な人たちとの出逢いと対話をから、自分の内側から湧いてくる純粋な「なんかしたい 」という想いを大切にされていることがインタビューから伝わってきました。人の可能性を見出すことで、また新たな兆しが紡がれていくことを清水さんから教えていただきました。

今回集まった新しい価値観は3つでした。

「# 愛と力の両方が必要」
「# 日常の他愛もない人との関わり合いが人の豊かさに直結している」
「# 社会でなんかしたい」

<清水大樹さんのプロフィール>
合同会社なんかしたい代表。大学在学時から教育事業の創業に携わる。
2019年1月に独立。現在は小中高校生対象の個別指導塾と、大学生のためのコミュニティスペースの運営、企業の研修やクリエイティブ制作を行っている。

<清水大樹さん関連URL>
合同会社なんかしたい


取材・執筆:寺村 日蕗香  NPO法人あおぞら 理事 
写真:其田有輝也

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