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武蔵御嶽神社

【もう二ヶ月近く前になるが、武蔵御嶽神社に行って来たのでその備忘録として】

武蔵御嶽神社。
住所は東京都青梅市御岳山176番地。

御岳山山頂(標高929m)の境内に、本殿・拝殿をはじめ数々の神を祀るお社があります。

公式ホームページより

小さい頃に家族で行ったことがあるらしいのだが、あまり憶えていない。
なんとなく記憶にあるような気もするのだが、行ったことがあるという話を聞いて後から作り上げた記憶のような気もする。

長い間、一度(というかもう一度?)行ってみたいと思っていた。
なかなか「行こう」というきっかけがつかまえられずにいたのだが、今回、一緒に行ってやってもいいよ、という人がいたのでそれを機に、4月のとある平日に行ってきた。

東京都心方面から公共交通機関を使っていく場合は、JR中央線→JR青梅線で御嶽駅まで行き、そこからバスとケーブルカーを乗り継いで御岳山駅まで昇り、そこから徒歩約25分。

JR青梅駅までは新宿方面から直通の便がある。
青梅駅より先は直通の便が無いので、必ず青梅駅で乗り換えることになる。
四両編成の電車。

青梅駅を出ると窓の外の景色が変わる。
いままでは「郊外の景色」だったのがいきなり「山の中の景色」になる。
緑の中を走り青梅から7駅目が御嶽駅。

駅からちょっとだけ歩いたところにバス停があった。
バスに乗ったのは十人くらい。
「ケーブル下」という停留所まで10分程度。
途中にいくつか停留所はあったが乗り降りする人はいなかった。

「ケーブル下」から少し歩くとケーブルカーの駅「滝本駅」がある。

ケーブルカーの正式な社名は「御岳登山鉄道株式会社」御岳山の中腹にある滝本駅(標高407.6m)から山頂に近い御岳山駅(標高831.0m)までを片道約6分で結ぶ。車体の傾斜角度は22度だそう。

当社の創建は崇神天皇の時代と伝えられ、古くから霊山として信仰されてきました。数多の神様をお祀りしていますが、特に「おいぬ様」として親しまれる大口真神さまは日本狼の神様です。自然を敬う人々の信仰心が、今も脈々と受け継がれています。

公式ホームページより

「おいぬ様」ということで、ケーブルカーも犬OK。
この日も犬を連れた人達がいた。

ケーブルカーからの眺め
御岳山駅に到着。
駅を降りたところの広場。
良い眺め。新宿から2時間30分弱。
まだ都内。

ここからは徒歩で御嶽神社に向かう。

気持ちの良い道。
ウグイスが鳴いていた。

しばらくは平坦な道が続く。道はすべて舗装されている。途中には宿坊が建ち並んでいる。もともとは神職や参拝者のための宿泊施設だったのが、今は一般の観光客も受け入れているとのこと。

しばらく平坦な道を歩いていると次第に上り坂に。
と思ったらかなり急な坂に。

坂の途中に大きな木が。

「御岳の神代欅」
推定樹齢は600年。
伝承によるとヤマトタケルが東征の折に植樹したと伝えられている、らしい。

坂を登り切ったと思うと今度は階段。

約330段だとか・・・。

ふーふー言いながら、ようやく到着。

拝殿。

神社には良くあることだが、境内にいろいろな神様を祀った社がいくつもある。

一番奥にある大口真神社(おほくちまがみしゃ)。

日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、この御岳山から西北に進もうと西北に進もうとされたとき、深山の邪神が大きな白鹿と化して道を塞いだ。尊は山蒜(やまびる=野蒜)で大鹿を退治したが、その時山谷鳴動して雲霧が発生し、道に迷われてしまう。そこへ、忽然と白狼が現れ、西北へ尊の軍を導いた。尊は白狼に、『大口真神(おおぐちまがみ)としてこの御岳山に留まり、すべての魔物を退治せよ』と仰せられた。

公式ホームページより
狛犬も狼

ここからさらに1時間ほど歩くと「奥の院」というのがあるらしい。
他にも滝とか、大きな岩とか、面白そうなハイキングコースがある。
しかし、正直もう疲れていた。
体力の衰えを実感しつつ、拝殿の近くでちょっと休んでから下りることに。

あの階段を下りるのかあ、と思っていたら拝殿の脇の方から階段ではない坂道が。
地図があって「女坂」と書いてある。
階段よりはこっちの方がマシなんじゃないか、ということになりその坂道を下りて行った。
しかしこの坂道がものすごく急坂で、降りていると靴の中で足のつま先がギュッと靴の先の方に押し込まれて痛い。
油断すると走り出しそうになってしまうが、一度走り出したら止まれそうにないので頑張って足を踏ん張りながら下る。

「女坂」って(男坂と比べて)ゆるやかな坂なんじゃないのか?

なんとか走り出さずに坂を下り、階段の登り口のあたりに出た。
ひざを痛めたかな、と思いつつ、途中の飲食店でそばを食べてから帰路へ。


× × × × × ×


天気が良くて、暑くもなく寒くもなく、とても気分の良い1日だった。

結局幼少期の記憶はよみがえらなかったのだが、この日の参拝がのんびりとした好い感じの思い出になったので良し、としたい。

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