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SOMPO美術館「ロートレック展・時をつかむ線」

新宿のSOMPO美術館で「ロートレック展 時をつかむ線」

展示は5つの章に分けられている。
第1章.素描
第2章.ロートレックの世界―カフェ・コンセール、ダンスホール、キャバレ・・・・・・
第3章.出版―書籍のための挿絵、雑誌、歌曲集
第4章.ポスター
第5章.私的生活と晩年

鉛筆やペンで描かれた素描や、それほどサイズの大きくないリトグラフ(版画の一種)、そして手紙や書籍などの資料的なものなど、が中心なので若干地味な印象はあるけれども、「これぞロートレック」って感じのポスター類も多く、全体的に充実した内容だったと思う。
これが個人コレクションだというのもスゴイな。

素描は、サイズも小さいしどうしても地味に感じるが、画家に「近い」というか、息づかい/手の動き、みたいなものが感じられるような気がして面白かった。
ロートレック単独の展覧会を見るのはぼくは初めてだったのだが、(油彩画が1枚も無かったのがちょっと残念だったものの)面白く見ることができて満足。

写真撮影可はごく一部のみだった

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余談その1・・・バーンズ・コレクション展
で、ここからは余談。
いまから30年前、上野の国立西洋美術館で「バーンズ・コレクション展」という展覧会を見た。
そのころはそんなに絵とか興味なかったと思うので、なんで見に行ったのか憶えていないのだが、当時非常に話題になったらしいので、それにつられてなんとなく見に行ったのだろう。

そして今にいたるまで、これが自分の中では一番印象に残っている展覧会である。
バーンズ・コレクション(そういえばこれも個人コレクション)は印象派・後期印象派あたりが中心なのだが、ぼくがその辺りの絵が一番好きなのもこの展覧会の影響かもしれない。
そんな風に、非常に印象に残ったこの展覧会の中でも一番心に残っている絵があって、それがロートレックの絵だった。
室内で白いシャツを着た女性が立っている絵。
何だかわからないがこの絵に惹かれて、この絵を見るために開催期間中にもう一回見に行った記憶がある。

で、これは本当に自分の駄目なところだと思うのだが、そんなにその絵に惹かれたのならそれをきっかけに絵を描き始めるなり、絵は描かないにしても文章なりなんなりでその気持ちを残すとか、あるいはロートレックについて調べるとかすればいいのに、何もしなかった。
どうも熱意がないというか根性がないというか積極性がないというか・・・。
今でもはっきりと、その絵を見ている30年前の自分の気持ちが思い出せるほど強い印象を受けたのに、30年の間、その絵のタイトルを調べようとさえしなかった。

今回SOMPO美術館の「ロートレック展」を見に行って、ああそういえばあの絵のタイトル知らなかったな、と思いようやく調べたのだった。

「赤毛のローザ」というのがその絵のタイトルである。



余談その2・・・ロートレックのこと
ついでにロートレックについても今さらながら(あまりにも今さらだが)ざっと調べてみた。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
1864年、南仏の非常に由緒のある貴族の家に生まれる。
幼いころから絵を描き始める。
今回の「ロートレック展」に出品されている中で一番古いものは1876年製作の素描なのでロートレック12歳くらいの頃の作品になる。
しかし13歳の時に左の大腿骨を、14歳の時に右の大腿骨を骨折し、それ以後足の成長が止まってしまう。これは怪我が原因と言うよりも、(古い貴族の家系にありがちな)近親婚による遺伝的な疾患だったという説が有力らしい。

1882年にパリに出て本格的に絵の勉強を始める。

ロートレックが本格的に人気画家になるのは「ムーランルージュ」(有名なキャバレー、1889年に開店)のポスターが評判になった1891年から。
今回の「ロートレック展」でも1891年以降の作品が主で、後はパリに出てくる前(~1881年)の素描が二十点ほど。
パリに出て来てから人気画家になるまでの10年間(1882年~1890年)の作品は3点の素描のみという少なさ。

しかしこの10年間(修業時代と言っていいのかな)は、もっとちゃんと調べると面白そうな気はする。
この時代にゴッホやヴァラドンらと知り合っている。
ゴッホはロートレックより10歳くらい年上。ロートレックはゴッホの肖像画を描いている。南仏(アルル)行きを勧めたのがロートレックだという話も。
シュザンヌ・ヴァラドンというのは、画家というよりはユトリロの母親として知られている人。もともとは絵のモデルをやっていて、特にルノワールの有名な幾つかの作品のモデルとして知られているらしい。彼女に絵を描くことを勧めたのもロートレックだとか。

先述した「赤毛のローザ」も制作年が1886年~1887年とされているのでこの時期の作品である。
この時期の作品はもう少し見てみたいな。

上流階級ではない、主に夜の世界で働く人々を好んで描いたロートレックだが、自身も酒場や娼館などに入り浸っていたという。
1891年に一躍人気画家になったものの生活ぶりは変わらず、障害者差別によるストレスとか、病気による体の痛みを紛らわすためとか理由は色々と言われているが酒におぼれるようになり、結局アルコール依存症になり、また梅毒にもかかってしまう。
1901年に脳出血により36歳で死去。
今回の「ロートレック展」の第5章のタイトルは「私的生活と晩年」と付けられているが、晩年と言っても三十代なのだ。

いや、ざっと調べただけでもなかなか面白い人である。
なんで30年前に調べなかったかなあ・・・。
ともかく今さらながら興味を持ったので、開催中にもう一度この「ロートレック展」に行ってみようかな、と思っている。
(9月23日まで)

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