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にしむきてんじんしゃ

6月×日
所用あって東新宿方面へ。
大江戸線の東新宿駅よりも東側、今まで足を踏み入れたことのない辺りを「この道で良いのかな」とやや不安になりつつ歩いていると、ちょっと雰囲気の有る鳥居が現れた。

まだ時間に余裕が有ったので入ってみることに。

なかなか立派な神社だ。

スマホで調べてみると、「西向天神社(にしむきてんじんしゃ)」という神社らしい。

古くから東大久保村の鎮守社であり、かつては大久保天満宮と言いました。現在でも広い境内を持ち、椎の木などが森をなしています。菅原道真を祀った京都の北野天満宮を勧請したものです。西向天神社という名は、地形上、社殿が西方(京都)を向いていたからつけられたものです。

新宿観光振興協会ホームページより
思ったより境内が広い。
神楽殿もある。
となりには立派なクスノキ。

小さな公園も隣接していて、おじいちゃん(らしき人)が小さな女の子を遊ばせていた。
土曜の昼頃だったのだが、他にはベンチで背広姿の若い男性がスマホをいじっているだけ。
静かでのんびりした良い雰囲気だった。

知らない神社を見つけてふらっと見物する、というのは、最初から目当ての神社や寺があってそこを訪れるのとはまた違った楽しさがある。

境内に「紅皿の墓は駐車場の中にあります」という看板が有った。
「紅皿」というのが何かわからないがいったん神社の敷地を出て、すぐ隣の駐車場に入ってみる。
隅の方に石碑みたいなものがあった。

何故かオレンジジュースが供えてあった。

紅皿というのは、なんでも太田道灌に関わる有名なエピソードに出て来る女性らしい。

太田道灌のホームページには次のように書いてある(太田道灌のホームページってなんだよ、と思うが、あるんです。本人が運営しているわけではないと思う)、

ある日、道灌が部下と狩りに出かけたところ、突然の雨に見舞われ農家で蓑(みの)の借用を申し出た。
応対に出た若い娘はうつむいたまま、山吹の一枝を差し出すのみ。
事情が分からない道灌は
「自分は山吹を所望したのではない。蓑を借りたいのだ」
と声を荒らげるが、娘は押し黙るのみ。
しびれを切らした道灌はずぶ濡れになって城に帰り、古老にその話をした。
すると、古老は
「それは平安時代の古歌に"七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき"という歌が有り『蓑』と『実の』を掛けています。貧しい家で蓑一つも無いことを山吹に例えたのです。殿はそんなことも分からなかったのですか」
と言われた。
道灌は自らの不明を恥じ、その後歌道に精進したという話である。

さすがは太田道灌である。
私なら「確かに俺は学が無いかもしれないけど、こっちがわかってないことを察した時点ではっきり蓑が無いって言えばいいじゃんか」と腹を立てるところだが、自らの不明を恥じるあたり人間が出来ている。

それはともかく、この若い娘が紅皿(べにざら)という名らしい。
後に道灌は紅皿を城に招いて歌の友となり、道灌の死後、紅皿は尼となって大久保に庵を建てたという。

近くに山吹が咲いていた。

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