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林芙美子記念館

そういうわけで、林芙美子の「浮雲」は面白かった。

今のところそのほかの作品も読もうかという気にはなっていないが、林芙美子に対する興味はなんとなくまだ続いていて、思い立って新宿区中井にある「新宿区立林芙美子記念館」に行って来た。

西武新宿線の中井駅から歩いて5、6分といったところ。
林芙美子の生涯の最後の10年間を過ごした家を公開している。
記念館と云っても資料の展示等はそれほど多くなく、基本的には建物や庭を見せる記念館である。

林芙美子はこの記念館になった建物を建てる前からこの近辺・・・新宿区西部・・・落合、下落合、中井の辺りに住んでいたらしい。

此の堰の見える落合の窪地に越して来たのは、尾崎翠さんという非常にいい小説を書く女友達が、「ずっと前、私の居た家が空いているから来ませんか」と此の様に誘ってくれた事に原因していた。

林芙美子「落合町山川記」より

落合に越して来たのは「放浪記」が出版された昭和5年。
この記念館の建物が建てられたのはその十年ほど後である。

記念館になっているこの家は、

居心地よく暮らす家というものは、どんな贅沢もいらない。人に見て貰う為の家よりも、住み心地のよさというものが根底なのだと、巴里から戻って、私は小さい日本の家と云うものを考え始めた。

林芙美子「昔の家」より

こんなコンセプトでつくられたそうだが、

私は現在の家を建てるのに足かけ六年の準備をかけた。とっかかりの金をつくる事に二年、設計に一年、大工にまかせて三年、昭和十年から始めて、新しい家に引っ越したのが十五年の六月である。

林芙美子「昔の家」より

「どんな贅沢もいらない」というのはもちろん外装とか造作とかを豪華にしたり金をかけたりしないということなのだろうが、時間のかけ方は贅沢だ。

林芙美子は建築に関しては素人だったのにもかかわらず、かなり勉強して自分の意見も多く取り入れたという(設計者は山口文象)。

設計図は百枚近く青写真をつくってみた。山口文象さんの事務所に万事お願いして、実に親切に苦労の多いばかりな私の空想に協力して貰えた。大工は渡邊さんと云って、北信州の出で、以前は宮大工をしていた人だったが、私はその大工の建てた作品を二三軒見せて貰った。渡邊大工はその頃三十二三の働きざかりで、酒好きな人だった。無口で気むずかし屋である事も私の気に入った。

林芙美子「昔の家」より

この記事で引用している文章は、すべてこの林芙美子記念館で買った「林芙美子小品集・落合日記」からのもの。
随筆、童話、詩などが収められている。

太宰治がこの家に訪ねてきた話なんかもあった。

家へ見えると、客間よりも茶の間がいいと云って、私の老母相手に、将を得るにはまず馬を射よですよ、ね、おばあさん。と云った工合で、その頃新聞小説に追われて、ろくに相手もしなかった私を哀れだと云って、夜更けまでに相当の酒を飲むひとであった。私は太宰君の甘ったれやとずけずけ云った。今日は最も僕の厭な奴が来る日なンですよ。ここへ一日かくまって下さいなどと冗談を云う人であった。

林芙美子「友人相和す思ひ」より


表の門
台所
この型の冷蔵庫はさすがに記憶にないな
茶の間、右奥に見えるのが小間
小間
次の間、左奥は居室兼寝室。
次の間のでかい押し入れはインド更紗を貼った特注の置き押し入れ
書斎、もともとは納戸として作られたということで少し薄暗い。
もともと書斎として作られた部屋が明るすぎたので寝室にして、代わりに納戸を書斎にしたとのこと。
小間を外から眺める。
屋根が一部分上に上がっている「腰屋根」
この下に屋根裏部屋があるらしい。
こんな家に住んだことは一度もないのだが、なんだか懐かしい気持ちになった。
庭もわりとごちゃごちゃして写真映えはしないのだが、とても感じが良かった。

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