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ウォルター・テヴィス「地球に落ちて来た男」

「ハスラー」という映画がある。
名優ポール・ニューマンの代表作の一つ。
1961年に撮られたモノクロのハリウッド映画。
監督はロバート・ロッセン。

「地球に落ちて来た男」という映画がある。
主演はデヴィッド・ボウイ。
1976年に撮られたSF映画。
監督はニコラス・ローグ。

どちらも非常に有名な映画で、映画好きなら、観ていないと「もぐり」と言われても仕方がないような作品だ。

ちなみに私はどちらも観たことがない。
「もぐり」と言われても仕方がない。
ま、それはともかく、この「ハスラー」と「地球に落ちて来た男」、
ビリヤードプレイヤーの勝負を描いたハリウッド映画と、ロックスターが異星人を演じたイギリス映画。
まったく共通点が無いように思えるが、実は一つ大きな共通点がある。
それは原作の小説の作者が同じだということ。

作者の名前はウォルター・テヴィス。
6冊の長編小説と1冊の短編集を残して1984年に56歳で亡くなった作家だ。
初めての短編が雑誌に載ったのが1957年。
最初の長編「ハスラー」が世に出たのは1959年。
2番目の長編「地球に落ちて来た男」が1963年。
この頃はまだ英文学の教授との兼業作家であり、この後しばらくは大学教授の仕事に専念していたらしく作品を発表していない。
1978年に専業作家となる。
その後の長編は
3作目「モッキンバード」(1980)
4作目「The Queen’s Gambit」(1983)
5作目「The Steps of the Sun」(1983)
6作目「The Color of Money」(1984)

1981年には唯一の短編集「Far From Home」~邦題「ふるさと遠く」~が出版されている。

などとさも詳しそうに書いたが、私が読んだことがあるのは「地球に落ちて来た男」と、短編集「ふるさと遠く」だけだ。
上に書いた情報は皆「ふるさと遠く」の文庫本の解説に書いてあった。

6作目の長編「The Color of Money」は「ハスラー」の続編で、これも映画化された。
邦題は「ハスラー2」
これは観たことがある。
ポール・ニューマンとトム・クルーズの共演作で、監督はマーティン・スコセッシ。
これは特に名作と言われているわけではない。
マーティン・スコセッシ監督は、自分が撮りたい作品の資金を作るために注文仕事みたいな仕事もこなしていて、「ハスラー2」もそんな作品だと言われている。
ただ、人によってはスコセッシがずっと温めていて力を入れて撮った作品よりも、肩の力を抜いてサクッと撮った作品の方が良い、という意見もあって、私も実際スコセッシが力を入れて撮ったであろう「最後の誘惑」や「ギャング・オブ・ニューヨーク」なんかより「ハスラー2」の方が好きだったりする。

ちょっと話がそれた。
ウォルター・テヴィスの話だ。
私は長編1冊と短編集1冊しか読んでいないので、あまり偉そうに語る資格は持っていないのだが、どうも作品の質に対して知名度が低すぎるのではないか、と思うので、ちょっと紹介してみたい。

初めて読んだのは唯一の短編集である「ふるさと遠く」(ハヤカワ文庫SF)
10年くらい前、SFやファンタジーの文庫本を揃えている神保町の古本屋で手に入れた。作者の名前は知らなかった。裏表紙の紹介文~「都会的ユーモアとウィットをまじえて軽妙かつロマンティックに描きあげた傑作SF全13編を結集!」~に惹かれて買った。
初期の短編はいかにも50年代のSF、と言った感じのアイデアストーリーが多く、なかなか楽しい。
そして後期の短編は、SFというよりも現代文学と言った方がいいような、人間のあまり見たくない部分を描くような作品が多く、後味は良くないがこちらの方が印象は強かった。
特に素晴らしいとまでは思わなかったが、なんとなく忘れがたい作品を書く作家、という印象を持った。

「地球に落ちて来た男」を読んだのはたしかそれより5年くらい後、なんでか理由は知らないがその頃に新装版の単行本が発売されたのだ。
「ふるさと遠く」を読んでいなければ、ああ映画の原作本ね、と思って手に取らなかったのではないかと思う。

人間そっくりの異星人が一人地球に降り立ったところから物語は始まる。
彼は地球には無かった様々なもので特許を取り、会社を立ち上げて莫大な利益を得る。
彼に不信を抱いたある科学者が、秘密を探るために彼に近づくのだが・・・。
要約するとそういうストーリーなのだが、多くの人がこれを読んでイメージするものとはかなり違う小説になっていると思う。
あまりSFとしてのアイディアの面白さは無いし、スリルもサスペンスもあまりなく、話は実に淡々と進んで行く。
それでもつまらないという訳ではない。
読んでいるうちにこの異星人に惹きつけられる。
そして、読んだ後に残るのは「孤独感」だ。


わたしは偽りの自伝を書いているのだと思う。ときどき、わたしは他人から疎外されていると感じることがある。若いときは、今よりもずっと強くそう感じていた。わたしの作品の主な登場人物たちは、ビリアード・プレイヤーであることで、火星から来たことで、ロボットであることで、読書やアルコールにしか生きがいを感じない人間であることで、疎外されている。わたしは心理的に圧迫されている人間のことを書きたいし、執筆中はそのことを深刻に考えている。

これはウォルター・テヴィス本人が、「二十世紀SF作家」という辞典に寄せたコメントで、「ふるさと遠く」の解説の中に引用されている。

「地球に落ちて来た男」はSFだということで、また、有名な映画の原作、ということで、かえって損をしているような気がする。
これは疎外/孤独についての物語だ。
主人公が地球人の中のただ一人の異星人なのだから孤独なのは当たり前なのだが、別に異星人でなくても、同じ言葉を話す同じような人たちの中にいるのに自分が異邦人であるような孤独を感じたことのある人ならば、この小説のなんとも哀切なラストは胸に刺さるのではないか。

(余談)
今、日本で普通に本屋に行って買えるのは「地球に落ちて来た男」の単行本だけのはずだったよな、と思って、念のため調べてみると、なんと4作目の長編「The Queen’s Gambit」が、つい最近、2021年に新潮文庫から出版されていた。
タイトルはそのまま「クイーンズ・ギャンビット」
そんなに有名ではない作家の1983年の小説が何で今頃?
と思ったら、どうやらネットフリックスでドラマ化されていて、そのからみで出されたらしい。
ネットフリックスなんて全然わからないので、noteで「#クイーンズ・ギャンビット」を検索してみたらびっくりするほどたくさんの記事が出て来た。
そんなに人気なのか・・・。
もしかして、ウォルター・テヴィスがあまり有名ではない作家だと思っていたのは私だけで、すでにもう「クイーンズ・ギャンビット」の原作者ってことで有名なのだろうか?

だとしたらこの記事は意味がないことになってしまうが、まあ仕方がない。
せっかく書いたのでそのまま上げることにする。

ちなみに早速今日、新潮文庫の「クイーンズ・ギャンビット」を買って来た。
いま3分の1くらい読んだところだが、期待にたがわず面白い。

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