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映画「対峙」「エンパイア・オブ・ライト」のこと、「佐伯祐三・自画像としての風景」のことなど、

3月×日
新宿シネマートで「対峙」(フラン・クランツ監督)
銃乱射事件の被害者の少年の両親が、事件の数年後、加害者の少年の両親と、とある教会の一室で対話する。
ほとんどその部屋の中の四人の対話だけで描かれた映画。
退屈ではなかったし、引き込まれる部分もあったけれども、自分には映画としての魅力は感じられなかった。
残念。

3月×日
東京ステーションギャラリーで「佐伯祐三・自画像としての風景」
結構混んでいた。
佐伯祐三は国立近代美術館にある「ガス灯と広告」という絵しか(ちゃんと)見たことはなかった。
「ガス灯と広告」は壁に貼られたポスターの文字が踊るように描かれていて、それが絵全体にリズミカルな印象を与えているのが面白くて好きだったのだが、そのスタイルで描いていたのはごくわずかな期間だったらしい。
わずか6年足らずの画家生活のなかで色々スタイルを模索していたのがわかる。

『コルドヌリ(靴屋)』
まだ文字が躍り出さない時期の壁と文字

1924年頃の作品には、素人目にも「あ、これセザンヌ」とか「これはヴラマンク」とかわかるくらいそっくりなものがあって、まあ習作ということなのだろうだからそれは良いのだけれど、そういう習作を書いている時期から4年くらいで死んでしまうのはいかにも早い、という感じがする。
「夭折した天才」というイメージはロマンチックなものだけれど、やっぱりもっと長く生きてもらって、もっと色々な絵を見てみたかった。
それでこの展覧会が「初期の佐伯祐三展」だったら良かったのに、と思った。

3月×日
どんな場所で、とか、どんな状況でとか、そんな前提条件まったくなしで「あなたはマスクを外しますか?外しませんか?」なんていう、どう考えても答えようがない質問を、テレビのニュース番組が道行く人々にフツーに投げかけて、道行く人々もフツーに答えているのを見ると、自分だけが別の世界から来た人間みたいに思えてくるのだが、まあそんな気持ちになるのは初めてという訳ではないので別にかまわない。
それにしてもそんな時期に花粉の飛散量がここ十年で最大規模だというのはなかなか皮肉なものだな。

3月×日
吉祥寺オデオンで「エンパイア・オブ・ライト」(サム・メンデス監督)
これは良作。
非常にバランスが良く、隅々まで神経が行き届いた映画、という印象。
脇役が良い映画はだいたい良い映画だが、この映画も、映写技師や、コリン・ファースの後任の支配人になる若者など、脇役が良い。
1980年代初頭のイギリス(2トーンとかが流行っている頃)の映画館を舞台にしたちょっとほろ苦い物語(ほろ苦い、ってのは我ながら陳腐な表現だな。上手く言えないとこういう表現に頼ってしまう)。
この「苦さ」は、同じように映画館を扱った「ニュー・シネマ・パラダイス」や「エンドロールのつづき」がピンと来なかった人(私のことですが)の胸にも刺さるのではないかと思う。
劇中の映画館のように素敵な映画館ではないけれども、今のシネコン全盛期よりも前の、昔ながらの映画館の雰囲気を残した吉祥寺オデオンで観れたのも良かった。

不満も無いわけではない。
これはまったくの偏見なのだが、イギリス映画(イギリス映画でまとめてしまう時点で偏見なのだが)、あるいはイギリス出身の監督について、「なんか根本的なところでお行儀が良い」というイメージがあって、それはこの映画でも少し感じた。
でもまあそれは無いものねだりか。
良い映画でした。

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