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路面電車幻想その3・岐阜の思い出

新宿歴史博物館で「路面電車と新宿風景」という展示を見てから、ときおり路面電車について考えている。

今までに乗ったことがある路面電車はたぶん四つ。
東京、札幌、広島、そして岐阜。

東京の都電荒川線は社会人になってから、仕事の関係で時折乗ることがあった。
札幌にはずっと昔に数年住んだことがあって、その頃に何回か乗った。
広島の路面電車は7年ほど前、宮島に旅行で行った時に乗った。
そして岐阜。

岐阜の路面電車の思い出をちょっとだけ書いておきたい。
たしか二十代の後半、三十年ほど前の事で、切れ切れの記憶しかなく、間違っているところもあるだろうが、まずはあまり調べたりせずに、記憶にあることを書いていくことにする。

× × × × × ×

岐阜の市街地で路面電車に乗りこんだ。
赤い路面電車。
最初は岐阜の街の中を走っていた。
しかしそのうち路面電車は街を出て、窓の外に見えるのが自然豊かな景色に変わって来た。
いつのまにか道路の上のレールではなく、普通の線路の上を走っている。
遠くに見える山肌の緑色が濃い緑色から白っぽい色になり、また濃い緑色に戻るのが見えた。
「あそこらへんの木の葉は、裏が白いから、風が吹くと葉の裏側が見えて白っぽく見えるんだ」と誰かが教えてくれた。
路面電車はどんどん山の中に入っていき、やがて目的の駅に着いた。
山の中、林の中に沢山の寺があった。
寺の方に行く手前に、石で囲まれた真四角な井戸のような小さな池があった。
のぞき込むと小さなカメが泳いでいたので眺めていると、水の底からゆっくりと何か大きな丸いものが浮かび上がってくるのが見えた。驚くほど大きなすっぽんだった。
その後いくつかの寺を見て回った。
寺なんかには興味がなかったのだがそこの雰囲気は気に入った。
さっきよりもずっと大きな池があった。
石造りではない自然な池だ。
木々が池の上に張り出していて、その木の枝にところどころ泡のようなものが付いているのが見えた。
モリアオガエルの卵だ。
モリアオガエルは泡状のものに包まれた卵を水辺の木の枝などに産み付ける。卵がかえりオタマジャクシが動き出すと泡から水の中に落ちる。
写真で見たことはあったが実物を見るのは初めてだった。
寺はとてもたくさんあっていくら見ても見つくせないような気がした。
だから適当なところで帰ることにした。
駅まで戻り、駅の近くの食事処で味噌田楽を食べた。
そしてまた赤い路面電車に乗って岐阜まで帰って来た。

× × × × × ×

最初に勤めた会社を数年で辞め、しばらく無職でぶらぶらしていた時期があった。その頃のことだと思う。
当時父親が、仕事の関係でひとりで岐阜に住んでいた。
母はちょくちょく岐阜の父のところに行っていたが、ぼくはほとんど行ったことがなく、その時初めて岐阜に行ったのではないかと思う。
せっかく岐阜に来たのだから、どこか観光地的なところに行こうか、ということになり、有名な所だということでその場所に行ったのだった。

ただのぼんやりした記憶であって、別に「幻想」の要素はない。
ただ、この岐阜の路面電車の記憶が、なんだか後にも先にもつながりがなく、そこだけぼうっと浮き上がったように自分の中にあり、時々ふと思い出す。それがなんとなく幻(まぼろし)みたいな気がする。
東京や札幌のようにその街に住んでいたわけではなく、広島のように計画を立てて旅行をしたわけでもない、そんな中途半端な状況だったのが影響しているのかもしれない。
職もなくぶらぶらしていた時期だ、ということも関係が有るのかもしれない。

まあそれだけの話なのだが、とりあえず書き留めておきたかった。


しかし書いてみると、あれはいったいどういう場所だったんだろう、というのが気になって来て、すこしネットで調べてみることにした。
ずいぶんぼんやりした記憶だけなのでわかるだろうか、と思ったが、「岐阜 寺 路面電車」で検索したらすぐ判明した。
インターネットってスゴイな。

その場所は「谷汲山・華厳寺」。
「西国三十三所観音霊場」の第三十三札所で結願・満願のお寺として知られ、春には桜、秋には紅葉の名所として賑わいを見せます、とのこと。
いろいろと画像を見ていたらイラスト風の境内図があり、それに見覚えがあった。
境内図の一番上の方に「奥の院」というのがあり、とてもあそこまでは行けないな、といって引き返したのだった。
境内には御堂が沢山あって、神社仏閣のことなどなにもわからなかった自分は「お寺がいっぱいある」と思ったのだろう。

驚いたのが岐阜の路面電車はかなり前にすべて廃線になってしまっている、ということ。
岐阜から華厳寺に行くには「岐阜市内線」「揖斐線」「谷汲線」と乗り継いで行けたらしいが、「谷汲線」は2001年に廃止、「岐阜市内線」と「揖斐線」は2005年に廃止されている。
いわゆる路面電車というのは「岐阜市内線」だと思うが、「揖斐線」には直通運転をしていたということなので、路面電車がいつの間にか普通の線路を走っていた、というのはその辺りの記憶なのだろう。「谷汲線」へも直通運転がされていたのかは分からなかった。記憶には無いのだがどこかで乗り換えたのかも知れない。

× × × × × ×

華厳寺には機会があればまた行ってみたい。
とても良いところだった。
しかし路面電車がもう無い、というのは残念だ。
でももうあの赤い路面電車に乗れないということは、あのまぼろしみたいな記憶が上書きされずに残るということで、それはそれでいいのかも知れない、という気もする。

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