気狂いピエロのこと

もう40年近く昔のこと、その頃大学浪人中だったぼくは、一応予備校に在籍してはいたが、あんまり真面目に通ってはおらず、特に当てもなく街をぶらぶらしたり、映画を観たりして過ごしていた。

で、ある日、有楽町にあった名画座に映画を観に行った。
あの映画館はなんて名前だったかな、有楽シネマ?、違うかな、ちょっと思い出せないがともかくその映画館でゴダールの「気狂いピエロ」と「勝手にしやがれ」の二本立てをやっていて、それを観に行った。
で、その映画に、特に「気狂いピエロ」にひどく衝撃を受けた。
・・・んだと思う。
ずいぶん昔の話なので、自分がどんなふうに感じたか正直あんまり思い出せないのだが、それから毎日のようにその映画館に通って何度も繰り返し観たのだから、かなり衝撃を受けたんだろうと思う。
その映画館は入れ替え制ではなかったので(というかその頃は入れ替え制の映画館なんてほとんど存在しなかった)、一度入ればその日の最後の上映まで居ることができた。だから朝から出かけて行って「気狂いピエロ」を観て、「勝手にしやがれ」を観て、もう一度「気狂いピエロ」を観て、もう一度「勝手にしやがれ」を観て、さらにもう一度「気狂いピエロ」を観て帰ってくる、なんてこともした気がする。
何度も観たのでそのうち、「気狂いピエロ」に関しては、最初のシーンはこう、次のシーンはこう、その次のシーンはこう、という感じで最初から最後まで頭の中で上映できるくらいになった。
それまでも映画は好きで観ていたけれども、映画にのめり込む、という経験はその時が初めてで、そこまでのめり込んだのはその後もなかったと思う。

やがて「気狂いピエロ」の併映が「勝手にしやがれ」から「彼女について私が知っている二、三の事柄」になって、それも観に行ったのだが、「彼女について~」が非常に退屈で参った記憶がある。

さて、それでその後ゴダールにはまったか、というとそんなこともなく、新作も観たり観なかったりで、昨夜ゴダールの訃報を聞いたけれども、「追悼」、なんて書けるほどちゃんと知っている存在というわけではない。

ただ、今考えると、あれから40年近く経っても相変わらず映画館に通っているのはあの時の経験があったから、という気がしないでもないので、ちょっと書き留めておくことにした。

× × × × × ×

最後に「気狂いピエロ」の中の、今ふと思い出したシーンを書いておく。
(ずいぶん長いあいだ見返していないので、記憶違いがあるかもしれない。存在しないシーンを「記憶している」なんてことも充分あり得るし)

主役のジャン・ポール・ベルモンドが、強い陽射しの下、背の高い葦のような草が生い茂る中に立っている。
立ってこちらを、カメラの方を、観客の方を見ている。
そしてある詩の一節を口にする。有名な詩人の詩だったような気がするが詩人の名前は憶えていない。

こんな詩だ。

ぼくらは夢で出来ている
夢はぼくらで出来ている
愛しい人よ、快晴だ
人生は快晴だ

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