鮎川誠

最近、若い頃に観たり聴いたり憧れたりしたアーティストやら作家やらの訃報に接することが多くなった。

まあそういう歳になった、ということなのだろう。
亡くなる人も70代とか80代で、今は70代でも「まだ若いのに」とは思うけど、それでも「あまりに若すぎる」というほどではない。もう、かなり前に大仕事はやり終えた、という年齢だろう。
だから寂しいし、残念だとは思うけれど、そこまでショックを受けることはない。
「ああ、そうか・・・」と思い、「まあでも仕方がないのかな」と思って、あとは昔を思い出してみたりして、それで自分の中で折り合いをつける。

ただ今回はちょっと違った。
鮎川誠が死んだことは1月31日の朝のテレビで知った。
なんだか虚をつかれた感じで動揺した。
とりあえずnoteにつぶやきを投稿した。
で、だからといって別にどうするということもないので普通に仕事に行った。
仕事が手につかない、というほどではなかったが、何かちょっと上の空、という感じだった。

別に、そんなにファンというわけでもなかったし、ここ20年くらいはほとんど聴いてない。
最初に見たのはたしか1984年、ライブハウスでザ・ロケッツを見た。
シーナ&ザ・ロケッツではなくてただのザ・ロケッツ。
シーナが産休中にザ・ロケッツ名義で「ロケットサイズ」というアルバムを出して、そのリリースに伴うツアーだったと思う。
その後、シーナ&ザ・ロケッツも何回か見た。
鮎川誠はいつもカッコ良かった。
(ステージ上での立ち姿があんなにカッコ良い人間を他に知らない)
ただその音楽は、好きなところもあれば、そこまでではないところもあり、大ファン、とか、心酔する、とかではなかった。
見たり聴いたりしていたのも1980年代、せいぜい90年代までで、その後はたまに新曲を出したとかそんな情報を聞いて「ああ、まだやってるんだな」と思う程度だった。

だから訃報に接した時に自分がひどく取り乱したようになったことが自分でも意外だった。

シーナが死んでしまったことも、その後もシーナ&ザ・ロケッツという名前は変えずに活動を続けていることも、情報としては知っていた。
「ああ、まだやってるんだな」と思っていた。

そう「ああ、まだやってるんだな」と思っていたのだ。
だからなのかもしれない。
自分の中で、
「若い頃の思い出が詰まった場所」
なんかではなくて、
「最近は行ってないけど、気が向いたらいつでも行ける場所」
だったのかも。
そんな場所が急に無くなってしまうと聞いて、少し取り乱してしまったのかもしれない、と思った。


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