見出し画像

「人類補完機構」のこと、新型コロナワクチン接種のこと、など、

10月×日
久しぶりに新しい小説でも読んでみるか、と書店に行き、色々眺めたあげく、昔読んだことのある本を買って帰る、ということが最近何度か。
駄目だなあ、とは思うのだが。
今回は、新宿の紀伊國屋書店で「スキャナーに生きがいはない」(コードウェイナー・スミス/ハヤカワ文庫SF)を買った。
まあ、面白いことが分かっているので外れのリスクはないのだが、新しいものに手が出ないというのはやっぱり老化、ということか・・・。

10月×日
新宿都庁で新型コロナワクチン接種(5回目)。

ここの45階、北展望室が接種会場

今までずっとモデルナだったのだが副反応がひどくて、必ず翌日熱を出して一日寝込んでいる。
今回は若干副反応が軽いと言われているファイザーを選んで接種。
ぼくは予約して行ったのだが、都庁では予約なしでも一定人数は受けられるらしく、「予約なし」の列がかなり長く出来ていた。
前回も都庁での接種だったので特にとまどうこともなく終了。
接種後、15分間の待機時間があって座って待っている時にイスラエルで大規模なテロがあったことを知る。
世界情勢とかには全く詳しくないのだが、それでも「これはちょっととんでもないことになるぞ」と感じて思わずnoteにつぶやきを投稿。
重苦しい気持ちで帰宅。

ワクチン接種は夕方だったので、この日は特に副反応はなし。
このまま副反応が出ませんように、と思いつつ就寝。

10月×日
朝から頭痛、肩から首あたりのこわばりと悪寒。
熱を計ると37.4度。
すぐ解熱剤を飲んだこともあり、それ以上は上がらなかったが体調はずっと悪く、結局一日寝込むことに。
コロナワクチン1回目は発熱無し。
2回目・・・38.6度
3回目・・・38.4度
4回目・・・37.8度
5回目・・・37.4度
だんだんと軽くなっているのは間違いないのだが、どこかに出かけられるような体調ではない。
ファイザーでもダメか・・・。

正直ワクチンなんて打たないに越したことはないのだが、残念ながら現状では圧倒的に打たないリスクの方が大きいと判断している。
もうちょっと後遺症の治療薬や治療法が出てきてくれれば状況が変わるのだろうが、今のところ2022年春あたりから状況はほとんど変わっていないように思う。

一日ベッドで横になっていたが今回は本を読む元気はあったので、この間買った「スキャナーに生きがいはない」を読む。
結局一日で読み終わった。たいへん面白かった。まあ面白いことを再確認、という感じ。

「スキャナーに生きがいはない」は『人類補完機構』という未来史シリーズの中の一冊。
このシリーズで最初に発表されたのが、表題作である「スキャナーに生きがいはない」という短編で、1950年、だからかなり古い。
SFというジャンルは古くなるのが早い、ある意味「新しさ」が魅力のジャンルなので、1950年代から1960年代にかけて書かれた作品が今読んでもこれだけ楽しめるのはかなりスゴイことだと思う。

庵野秀明監督の「新世紀エヴァンゲリオン」に『人類補完計画』というのが出てくるが、内容的には全く関係ない。
おそらく「人類補完」という言葉の響きやイメージを気に入ったのだろう。
そう考えると、この短編集に収められた短編のタイトルにも、なんとなく庵野監督っぽいかな、と感じるものが多い。
「第81Q戦争」
「星の海に魂の帆をかけた女」
「大佐は無の極から帰った」
「鼠と竜のゲーム」
あたり、そんな気がする。

もう一つ、庵野作品との共通点があって、それは、意味ありげな用語をほとんど説明もなしに使うことで興味を持たせる、という手法だ。
「考察」とやらが好きな人たちを惹きつける思わせぶりな語り方だが、コードウェイナー・スミスの「人類補完機構」シリーズにもこれが多用されている。
別にコードウェイナー・スミスが編み出した手法、という訳ではないだろうが、1950年代にこれをやったのはなかなか先進的だったのではないかと思う。

でも別に小難しい話ではない。

・全長一億五千万kmの黄金の宇宙船
とか、
・この世で一番美しい少女を守護するための装置(ネズミの脳を加工して作られた)
とか、
・「ドイツ人以外を殺す」という使命を忠実に守り、ドイツが、というか国家というものが存在しなくなった未来においても、ドイツ人以外を殺すために地球の森をさまよい続ける「人間狩猟機」
とか、

が出てくる楽しいお話である。

この短編集に収められた「スズダル中佐の犯罪と栄光」という短編の冒頭、プロローグというか序文みたいな部分に、この「人類補完機構シリーズ」のテイストみたいなものが良く出ているような気がするので最後にそれを引用しておく。

この物語を読んではいけない。早くページをめくって。読めば、あなたは動揺するだろう。いずれにせよ、あなたもたぶんご存じの物語だ。これは人を不安にさせずにはおかない物語である。スズダル中佐の栄光と犯罪は、これまでありとあらゆるかたちで語られてきた。この物語が真実であることを自分に気づかせてはならない。
 そうではないのだから、まったく。ここには真実はかけらもない。アラコシアなどという惑星はないし、クロプトなどという民族も、〈猫の国〉などという世界もない。みんな想像の産物なのだ。このようなことはなかったのだ。きれいさっぱりと忘れて、どこかへ行き、なにかほかのものを読むがいい。

「スズダル中佐の犯罪と栄光」(コードウェイナー・スミス)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?