ミニマリスト生活をしたら自分のミニマルさが明るみに出た


タイトルの通り。
雑記として、また自戒として残しておこうと思う。
ミニマリスト生活を始めた経緯から振り返っていこう。

始めはなんとなく

ミニマリスト生活をするために目標や目的が明確にあったわけではなく、「ものを減らすと豊かになる。」「無駄なものに使うスペースが損」といったワードに反応したまでだ。当時断捨離という言葉が流行って、僕も職場や自分の持ち物を身軽にしていた時期だった。

手を出しやすい衣服から

服を選ぶのにストレスを感じていたことにも僕のミニマリスト生活は起因する。社会人になってから僕は洋服が趣味で、クローゼットは服でパンパンであった。
当時子どもが出来たこともあり、「子どもと全力で遊んで汚れても気にならない服装」を模索していた。服は好きだが、ガシガシ着込んで劣化するのはあまり良い気分ではなかったからだ。
機能的な服で、かつお洒落をしたい。そう思ってからクローゼットを見ると、僕の持っている服の中に、その思いに応えてくれる服は数点あるかないかだった。早速服の断捨離を始めた。
断捨離と入れ替えを行って4年ほどたつが、衣類はほぼ1軍。補欠は数点あるが、かなりすっきりしたクローゼットに今はなっている。

次は趣味のギア

20代半ばから、写真を趣味としてきた。自然物をたくさん撮りに行っていたし、イベントごとで人から頼まれて撮ることもあった。休みの日に活動するホリデーカメラマンだったので、子どもが生まれてからはあまり活動をしなくなっていた。
この頃のデジタルカメラは、プロ、セミプロが使用する1眼レフカメラ(この中にもエントリークラス、セミプロ向けなどの違いがある)と、重量が軽く、持ちだしやすさに重点を置いたミラーレス一眼があった。僕が最初に買ったのはミラーレス一眼であり、その後、人から頼まれた時用にセミプロ向けの1眼レフを買った。どちらも20代半ばの頃に買ったものだが、清水の舞台から飛び降りるような気持ちだったのを今でも覚えている。

しかし、そんな高価な機材も使わなければただのお荷物だし、ただ仕舞っておいても年数を経過するにつれてその価値は落ちていく。デジタル物であればいずれ部品の保証期間も終わり、修理すらできなくなるだろう。
そう思った僕は1眼レフカメラを売却した。これもまた、清水の舞台から飛び降りる気持ちだった。ようやく見つけた趣味。人から頼られることもあったし、仕事に出来たらいいな、と思った事もあった。しかしそれを諦めるような行為である、1眼レフの売却は、なかなかに気持ちのいる行為だった。

しかし多くの書籍にあるように、手放す時は惜しい気持ちが強いものだが、徐々に薄れ、日がたてば傷と思っていたそれは姿を消していた。


そして明るみに出たものは

大人になって、自分の気持を満たすもの、趣味と言えるものを断捨離して、ミニマルな生活をすすめた。今でも家に占める僕の荷物は3割といったところではないだろうか。欲を言えば車も手放したいくらいだが(ランニングコストがもったいない。)、子どもの習い事の送り迎えなどもあるため、現在も所有している。

僕はモノに頼って生きている。色んな服を着ることで自信を持ったり、気持ちを上げることが出来ていたし、良い機材を使う事でクオリティがアップできると信じていた。良い機材を所持していることで仕事も舞い込んでくるものと思っていた。つまりは内面を磨くことを怠っていたのだ。それに気づけただけでも、このミニマリスト生活は成功だったのではないかと考える。
豊かになったかはまた別の話で、わが家は一般庶民、中の下くらいの過程である。ミニマリストであることを発信、利用することで得られた利はあるのかもしれないが、それも磨きが足りなかったというところなのだろう。

ここからまた物を増やすつもりはないが、せっかく身軽になったのだ。というか元から軽いことに気付いた、直視できたのだから、この生活を続けてまた何かをえられればいいなと思う。






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