世界も歳をとる

<2005年12月04日の手記より>

およそ1年半以上は訪れていなかったであろう某氏のオタクを訪ねました。

かつてそこは、灯りに引き寄せられる夏の蟲のごとく、寂しさや物憂げな気持ちを心に押し隠したメンズが本能的に集まる不夜城でありました。

そこには栄光のローマのごとき壮大さや美麗さはなくとも、お互いの万有引力方程式にある種の大きな重みを付加するような、共同体意識による強い磁場とでもいえるものが発生していたような気がします。

あれから月日は流れ、あるものは卒業し、あるものは旅立ち、あるものは日々に忙殺される毎日に追われ、一つの国家の動きを見るがごとく、ゆっくりと衰微していくさまを、見たわけではないのですが、きっとそうなんだろうと想像するだけで、なつかしい故郷を思い出すような懐古美化運動が脳内で奨励中であります。

彼の家に行く途中にみえる、なつかしい風景とあたらしい風景が、世界も歳をとるのだなみたいに思わせましたが、私が歳をとっただけかもしれません。

昔をなつかしむ二人のジジィのごとく、とりとめのない話をしながら、ボブ・ディランのレコードを聴きました。

未来と過去を考えがちな生き物ですが、今いるのは現在なんだなと思います。

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