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8/6卒論仮案①:日常系アニメに物語を取り戻す

2001年に発行された東浩紀の「動物化するポストモダン」は、2000年代のいわゆるオタクの「消費文化」を鋭く言い当てた書籍として、日本だけでなく海外においても翻訳され広く読まれている。
東はこの本の中で、オタクの関心を触発する「萌え要素」という記号がオタク文化の中で氾濫しているということ、そして消費者であるオタクは、そこで流通するキャラクターを既存の萌え要素の組み合わせとして認識していることを指摘する。

続けて彼は、オタクがアニメ・マンガ・ゲームを消費している際の消費対象が、「物語」から「作品の構成要素」へと変化したという。彼はこれを「物語消費」から「データベース消費」への移行であると指摘し、作品が受容される際に「消費者によって、物語よりもキャラクターの方が基礎的な単位として想像されている」と唱える。

「データベース消費」というオタクの消費文化への考察は大変興味深いものであるが、私が問題視するのは、この考えが消費文化を超えて作品分析においても参照され、現代アニメの物語性の欠如と、作品内のキャラクターがオタクの欲求を駆動するために生み出された「萌え」要素の組み合わせにすぎないということとが指摘され、物語やキャラクターを考案する作品内の作家性が貶められていることである。

 東の「データベース消費」を参照しつつ物語性の欠如が嘆かれるアニメジャンルとして具体的な例を挙げると、「日常系アニメ(slice-of-life anime)」の言説がある。「空気系」とは2000年代半ばより注目を受け始めたジャンルで、大きな事件や出来事が起きることもなく、登場人物たち、特に女の子たちの会話を中心とした何気ない日常を淡々と描く作品となっている。ここでアニメーション研究家の氷川竜介による東との対談を参照すると、彼は「空気系アニメ」に見られる特徴として、①そのほとんどが学園生活ものであるにもかかわらずコンフリクト(困難との対峙、葛藤、努力)が作中では排除されている点、②女の子しか画面のフレームの中に映っていない点の二点を挙げている。続けて彼は男性キャラの排除によって恋愛の物語(コンフリクト)も排除されることで、視聴者はそうしたドラマツルギーとしてのコンフリクトではなく、女性キャラクターそのものに集中できると述べる。彼はそういった意味において男性不在の「空気系アニメ」は男性視聴者にとって「サプリメント」として機能すると考える。この彼が用いた「サプリメント」というワードから、東のデータベース消費の性格

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