自立するということ

自立とは

近頃人間関係であったり生きていく上で自立するということがとても大切だなと思うことが増えてきました。なんだかそんな記事もよく見かけるようになったり。

自立するという言葉自体は親しみのある言葉ですし、よく使う言葉かと思うのですが具体的にどういう状態なのか、ちゃんと考えたことある人って少ないと思います。私もそうです。

経済的な自立とか社会的な自立とか観点はいろいろあるんですが、私が大切だと思う自立は、7つの習慣にもあるように、自分の人生に主体的であるということです。この"主体的"というのがポイントです。

自分の人生の脚本は自分で書くとか、自分の人生のプログラムは自分で書いて自分で操作するとか、何でもいいんですが要するに、自分の人生にらおける選択は自らの意思で行い、そこに責任を持つことだと思います。

これだけだとわかりにくいと思うので、自立の反対の状態、何かに頼らないとダメな状態、つまり依存している状態について言及してみます。

依存とは

初めに言っておきたいのが、依存 = 悪ではないです。

人間は必ず依存状態で生まれてきますし、その依存状態のまま人生を終える人が大多数です。普通はそのままです

ただもっと生きやすく生きたいとか、振り回されたくないと思う人は依存状態から抜け出せると楽になりますよ。私自身もまだまだ依存状態から抜け出せてはないのですが。

話を戻します。

先程述べた通り我々人間は必ず依存状態で生まれてきます。誰かにお世話をしてもらわなければ1人では生きていくことさえできない依存状態として生まれます。

お腹が空いても誰かにミルクをもらわないと生きていけませんし、暑くなったり寒くなったりしても不快になって泣くことしかできません。

つまり自分が何をするかは"誰か"に決定され、快も不快も"自分の外の何か"に決定されます。これが依存している状態です。

わかりやすく赤ちゃんを例にしましたが、大きくなってもこういう人っていっぱいいます。(前述の通りほとんど人がこの依存状態です)

天気が悪いから今日は気分が悪い、あいつのせいでうまくいかなかった、この環境でさえなければ、あの意見さえなければ…etc

思い当たることたくさんあると思いますが、こういうのは全部依存状態です。自分の人生を自分ではない何かに決定されている、握られている状態です。

とはいえ環境のせいにせざるを得なかった人だっていると思います。それ自体は悪いことではありません。そんな自分を責めないで許してあげてください。その時はそう選択するしかなかったんだと思います。

では自立に向かっていくにはどうすればいいか?ここでキーワードの"主体的"に戻ってきます。

主体的であるとは

冒頭で「自ら意図を持って選択すること」的な旨を述べたと思うのですが、これについて話していきます。

成長した人間にしか与えられていない能力があります。それは「刺激と反応の間には選択の余地がある」ということです。

これに関する有名なお話として、精神科医であり心理学者のヴィクトール・E・フランクルがナチスの強制収容所での体験について語った名著「夜と霧」の中の一文にこのようなものがあります。

「人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない」

つまりどれだけ残酷で夢も希望も無いような状況であっても、自分がどう振る舞うか、つまり起きていることに関して自分がどう反応してくかは自分で決められるということです。

実際にヴィクトール・E・フランクル自身、酷い拷問などにあっていても最後まで人としての尊厳は失わずにいたと言います。その姿は他の収容された人のみならず監視官までもを勇気づけたとか。

(ご興味ある方は是非夜と霧読んでみてください。覚悟して読まないと結構辛くなりますが。笑)

ですので、どんなに怒りを覚えるような目に合わされても、みじめに思えるようなことをされても、それを選ぶ必要はありません。別にみじめにならなくていいんです。怒りを覚える必要だってありません。

自分の感情は意図して自分で選べます。人生は自分で意図して選択できます。これが自分の人生に主体的であるということです。

そもそも物事の本質は全てニュートラルです。この世の全ては光と影のように、ポジティブな面とネガティブな面を合わせ持ちます。何を見るかではなくどのように見るか、見方が大切なのです。

"外部の何か"が握っていた人生を"自分自身"で握りましょう。あなたの人生の脚本はあなた自身が書くのです。

とはいえ、微塵も怒りを覚えなかったりみじめにならない人なんてこの世にいません。

ダライ・ラマでさえイラっとすることはあるそうですし、ビルゲイツでさえ新たなことに挑戦する時は、自分はなんて無能でみじめな存在だろうかと思うこともあるそうです。

なので我々一般人がどうしても主体的になれない時があっても、それはごくごく自然なことです。

なので主体的になれなかった自分を許して、自分に慈悲を向けた上で、自分はどういう時に主体的になれないのかを統計データとして取っていくことをおすすめします。

データとして溜まっていけば自分はどんな時にどうなってしまうのか、ある程度予測がつきますしそれに対する対策も立てられます。

これを繰り返すことで徐々に主体的になっていけるのだと思います。私もまだまだ依存状態マンなので、もしこの記事で何かを感じることがあったのなら一緒に頑張っていきましょう。

最後に

ちなみにですが、自立のさらに上位の状態として"相互依存"というものがあります。

依存→自立→相互依存となるわけです。

また依存しちゃうの?と思われる方も多いと思いますが、依存と相互依存は紙一重ですが圧倒的な差があります。

ただし相互依存状態になるには、自立していることが大前提です。いきなり相互依存には行けません。

簡単に言えば0.5×0.2が依存状態ならば、相互依存は1.2×1.5みたいなイメージです。

これに関してはまた気が向けば記事にします。笑

まずは自立を目指して、自分の人生に主体的になれるようお互い頑張りましょう!






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