見出し画像

#2 『最後はなぜかうまくいくイタリア人』 -イタリア的思考と"宿題問題"を考えるヒント-

◎この本に出会ったきっかけ

大学時代の後輩がInstagramのストーリーに載せていて知った本。
昔から「イタリア男」には強烈な憧れがあったんだけど、笑
留学中に多くのイタリア人と仲良くなったこともあって、彼らの良い所も、たまに出る嫌な所も知ったから、
自分の知ってるイタリア人の好きな所と嫌な所が一般的なものなのか確認したかったのと、
彼らの考え方の源泉を知ることができるかなーって思って手に取った本。

◎こんな本だよ

ワインの仕事を通じて日本とイタリアを行き来する著者が、イタリア人の特性をまとめた本。

◎こんな解釈をしてみました

この本の中で、特に印象に残ったイタリア人の3つの価値判断を紹介しながら、
解釈を織り交ぜていきたいと思います。

一つ目は、
・好きなことを許容するというスタンス

例えば店員さんが、お客さんの前でプライベートな話を大声でしていたり、タクシーの運転手が平然と友達と電話をしていたり。笑
日本人にとっては少々違和感がある光景だけど、彼らはその人が好きなことをどのような場においても許容する感覚が共有されている。
なんでかというと、
「好きなようにさせてあげた方が、ちゃんと仕事してくれるでしょ?」と思っているから。

極端にお客さんを大事にするサービスは、満足度はすごく高いんだけど、
お客さんの目を気にし過ぎて萎縮するか、クレームを受けないマニュアル化されたものになりがちだよね。

二つ目は、
・美しいか、醜いか / 好きか嫌いか

これは価値判断が、正しいか間違っているかに置かれているのではなく、
自分が好きだと思うか、美しいと思うか、という直感的審美眼に置かれているということ。

本の中で紹介されていたエピソードは、
大規模なワインの試飲会をすることになり、どのようなグラスを揃えるか議論がなされた時に、
本来は大きなグラスが理想だが、現実的に考えると小さいグラスでないと揃えるのが難しい状況があった。
そこでソムリエのトップが放った言葉は、「大振りのグラスを揃える困難は理解できるが、この小振りのグラスは醜くて、嫌いだ」というものだった。

イタリア人は幼少期より、「好きか嫌いか」で生きてきたので自分がどう感じるか、という直感が優れている。
一方で我々日本人は、「好き嫌いはわがままだ」という価値観の中で生きてきたので、直感を磨くチャンスが失われてしまっているらしい。
何か迷った時は直感に従う方が良い、と言う様に、
直感って雑になんとなく決定してるんではなくて無意識下でこれまでの自分の全ての経験から来てるものなので、もったいないなぁと思う。

三つ目は、
・目標達成ではなく、その過程を楽しむ

世界におけるイタリア移民は多くいて、そのパターンの多くは出稼ぎに行った結果、行った先での生活に熱中してしまい、結局そこで家庭を持ち、帰るのを忘れてしまうらしい。笑
どんな状況下にも適応してしまい、楽しめてしまう、いかにもイタリア人らしいエピソード笑

良いか悪いかは分からないけど、筆者が言うように、帰国を忘れるくらい熱中した人生だったのは間違いないと思う。

この本では、下校時に「寄り道しないで帰りなさい」と育てられた日本人は目的遂行能力は高いんだけど、過程を楽しんだり、そこから学びを得るのがあまり得意じゃないのではと書かれていて、
たしかに用意された通学路は安全かもしれないけど、一歩そこから踏み出した時にものすごく貧弱になってしまう。
寄り道して、親には言えないけどちょっと危ない経験した子供の方が緊急事態で頼もしかったりするんだよなぁ。笑


この3つの価値観をまとめる内に、
頭の中にふっとよぎったのはこれ。

僕は日本人よりイタリア人の方が良いと言うつもりもないし、
学校の宿題が不要だと言うつもりもないけど、
一つ言いたいのは、

宿題をやる理由が、
「やらなきゃいけないから」という状況は非常に健康ではないなぁ。ということ。
前向きに取り組めないのであれば、
本来その課題から得られるはずのものも思考停止した作業の中に消えてしまう。。

ここでイタリア人を尊敬すべきなのは、
価値判断の軸が自分自身の中で醸成されていることだと僕は感じます。

我々日本人は、
何が社会的に正しい選択か。
もう少し嫌な言い方をすると、どういう選択が悪目立ちしないか。
という価値観の中にいる気がするので、多少の息苦しさがあります。

ロックダウンでなくても「自粛」出来るのは、
そのうちの一つですよね。

宿題もみんながやっているからやっているのであって、
本田さんの言う様に、やってない奴があかん空気がある。
たしかに、そのモチベーションで取り組むのであれば宿題は本来の効果を発揮しないと思います。

そこで、イタリア人的価値観に今回の宿題問題を当てはめてみると、
なんとなく議論が前に進みそうな気がするんです。

1. 好きなことを許容するスタンス

これは教育制度ごと変えないといけないですが、笑
アメリカみたいにそもそも授業を自分で選択出来るようにすることや、
(好きなことを選んでいるので、その分選んだ責任が個人にあることになります)
先生の負担は大変なものになりますが、
宿題を数種類から選んでもらうのも手段としてはあるのかな、と思います。

2. 好きか嫌いか / 美しいか、醜いか

これは1.の好きなことを見つけるための前提条件でもありますし、
ある話題に対して正解を見つける作業としての宿題ではなく、
自分はどう思うか、自分視点の考え方を養う上で大事な価値観だと思います。

勘違いしてはいけないのは、ここで言う好き嫌いはただのわがままではなく、
自分の信条に従った筋の通った主張であるということです。
宿題がめんどくさいから嫌い、ということではありません。笑

宿題をやる意味に納得した状態で向き合ってもらうことで、
得られるものは大きいし、前向きに取り組むのできっと楽しくなるはずだと思うんです。

3. 目標達成ではなく、その過程を楽しむ

これは宿題の評価方法に関わると思います。
正しい答えが導けなかった子をどのように評価するのか。
間違ってしまった事実だけ見るのか、
どのようにその答えを導いたのか過程を見るのか。

僕は、今はどうしても間違った事実だけに注目がいくことが多いと思っていて、
するとどうしても恥をかきますし、苦手意識を持ってしまう気がします。
目標達成を意識しすぎると、前向きな気持ちが失われてしまうのではないか、と思います。

本田さんの意見は多少スパイシーな所はありますが、笑
行き過ぎた主張から落ちていく様に妥協点が見つかると思うので、
ここから宿題をどの様に捉えるかきっかけになったらいいなぁと思います。

その上で、イタリア人的感覚を持ってもらうと、
もう少し自分に自由やゆとりを与えてあげることが出来るので、
前向きに取り組めるんじゃないかなぁと思います。



思ったより長くなってしまったので、
この辺で終わりにします。

最後に、社会人生活が始まると土日にやりたいことが多過ぎて、詰め込んだ結果、
なかなか時間が取れませんでした。笑
無理せずに、でも出来れば毎週続けていきたいなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?