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Vol.3 ルールと審判編

先日、田端さんが『これからの会社員の教科書』を著者自ら解説するという動画の中で、
ビジネスにもルールがあるんだよ、ということをスポーツを例に出して紹介してるのがうまいなぁと思ったので引用します

ラグビーってルールがなかったらゴツいやつのどつきあいになってしまうかもしれないんだけど、
ルールがあって、作法があって、マナーがあって、スポーツマンシップがあって、それに乗っ取ってやるからあれくらいギリギリの体のぶつかり合いがあって、みんなそれに熱狂するんです

サッカーも同じで、ルールがあるからギリギリの戦いができるわけですね
逆に言うと、ギリギリの戦いこそが魅力的な試合であり、それを競技として成立させるためにルールが出来たと言うわけです。

僕がレフェリーを始めたきっかけとなった高校のBチームは、毎年名古屋に遠征に行っていたのですが、
ある年、そこで岐阜協立大学経営学部教授の高橋正紀さんの講演を聞く機会がありました。
高橋さんはドイツのケルンで学び、スポーツマンの心の整え方を精神医学の分野で確立された方で、「一流のスポーツマンのこころ」というテーマで全国各地で講演をされていたのですが、僕らの顧問が大学での知り合いというご縁からたまたま遠征中に話を聞かせていただけることになりました。

当時は、正直ちょっと話が難しくて、
「グッドルーザーになれ」とか、「スポーツは非日常だ」とかキーワードだけがぼんやり記憶に残っていたと思うのですが、
今回noteを書くにあたり僕が当時書いたメモを見返してみたら、びっくりしました。

この「非日常」というのが今回のルールの話に非常に深く繋がるんですね

高橋さんが提案する、心の整え方の方法の一つに「日常」と「非日常」を区別するというのがあります。
ミスをしてもそれは非日常のことだから、それを日常まで引きずっちゃ勿体ないよ、というもので、逆の視点から言うと日常が安定してないと非日常で良いパフォーマンスは出ないよ、というものなんですが、
今回はメンタル的なものではなく、「スポーツは非日常におけるものだ」というところに今回のテーマであるルールとの繋がりがありました

ゲームは非日常のものなんです
スポーツというのは、非日常にあるもので、サッカーは非日常にある究極の遊びなんです。なので、極端な例ですが、例えば日常生活でスライディングなんてされたら事件、事故なわけですが、それがスポーツとして成り立っているわけですね

この非日常空間はみんなが楽しいから存在していて、
その共通認識があって成り立っているあくまで架空世界なので、
一緒に構成する自分、仲間、相手、ルール、審判はリスペクトしましょうねと高橋さんは言います。

僕らは当たり前にスポーツに関わり、当たり前にサッカーのある週末がやってくるわけですが、
それが成り立っているのはルールがあって、それをみんながリスペクトしているという、人間同士の合意が形成された奇跡的なバランスが保たれた世界なんだなということを再認識することが大事かもしれませんね。

さて、この文章の冒頭で、
「ギリギリの戦いこそが魅力的な試合であり、それを競技として成立させるためにルールが出来たと言うわけです。」と書きました。

それを踏まえると、
レフェリーが「ルールを選手に守らせよう」とすると選手のギリギリの戦いは引き出せないかもしれない、と思います。

そうではなくて、
「魅力的な試合を作る上で、ギリギリを超えた行為をしてしまった選手に対して、今のはルールを破ったよね」とルールを根拠に確認をしてあげれば良いのだと思います。

競技規則にも、レフェリーの目標はこのように定められています。

サッカーの魅力を最大限に引き出すよう、試合環境を整備し、円滑な運営をする

競技規則を適用するというのは、僕はこの目標の中の「円滑な運営をする」というところに入っていると考えています。
だから、忘れてはいけないのは、僕らのメインの目標は「サッカーの魅力を最大限に引き出すこと」であり、そのためにやるべきこととして「円滑な運営=競技規則の適用」があるというわけです。

レフェリーはあくまでそのルールの施行を委ねられた存在なので、
「ルール」が選手のことを裁くわけですね
これが、「レフェリー」が裁くようになってしまうと、「あの選手は厄介だ」とか「前の試合で退場している」とか憶測や個人的感情からルールの適用がぶれてしまうことがあります。
レフェリーが公正、公平であれ、というのはここに由来するものだと思います。

逆に言うと、選手みんながリスペクトに溢れる試合で、ギリギリの戦い方を分かってルールを守っている試合であれば、レフェリーはそれを見守っているだけでいいわけです。

競技規則のイントロダクションにもこう書かれています。

最高の試合とは、競技者同士、審判、そして競技規則がリスペクトされ、審判がほとんど登場することのない試合である

選手もレフェリーもこの考え方が頭に入っているともっと良い試合がいろんなところで生まれて、またサッカーが楽しくなるんじゃないかなぁと思っています。


僕がこのように考えるようになったのには、忘れられない強烈な思い出があります。

ソッカー部を辞めた後、
高校、大学の先輩がチームの代表をしていた縁から、関東社会人1部リーグに所属する東京ユナイテッドFCに約2年弱関わらせてもらいました。
最近はあまりグラウンドに応援に行けず、申し訳なく思っています。笑

僕がここにいた期間はちょうど元日本代表のディフェンダー岩政大樹が所属していた時期で、大樹さんと過ごした時間が僕のレフェリーにとっての非常に貴重な財産になっています。

その当時、毎週木曜日には東京ユナイテッドと東京大学で練習試合をやることになっていて、僕はそのレフェリーをやらせてもらっていました。

ある日の試合中、
大樹さんが東大FWのユニフォームを引っ張って倒し、
いわゆる、大きなチャンスとなる攻撃を妨害する、反スポーツ 的行為で警告に該当するファウルをしたことがありました。

ルールに詳しくない方向けに簡単に解説をすると、
サッカーにおいてイエローカード(=警告)が出る状況は二つあります。
一つは、相手を怪我させてしまう危ないプレー(=ラフプレー)
もう一つは、相手のチャンスを潰すプレー(=反スポーツ的行為)です。

今回のファウルは後者のチャンスを潰すプレーに該当し、
このプレーによる警告は、ファウルの種類は関係なく、ユニフォームを引っ張るものでも、足を引っ掛けるものでも、チャンスを潰したことで警告が出ることになっています。

試合に戻ります。

僕はファウルをした大樹さんに対して、

「大樹さん、それはないですよ!」と注意をしました。

僕の中では、手を使って相手を止めることはいけないことだから、当然注意をしなければいけないと思い、「ない」という言葉を使って声を掛けました。

しかし、僕のその言葉を受けた大樹さんは「ないってどういうことだよ!」と声を荒げたんです
やべっ、怒らせてしまった!と思いながらも、笑
この時は僕もレフェリーモードなので、これで怯むわけにはいけないぞと威厳を保つのに必死でした。これが睨んでいるように見えたようです。笑

「その態度も気に食わない、ちょっと試合後話するぞ」と言われて、その場ではプレーが再開されることになりました。

チームのミーティングが終わった後、
僕と大樹さんはフィールドに残り、2人で話をしました。

大樹さんからは
「あの状況で俺は、後ろにカバーがいることを確認していて、あのファウルはチームのために自分ができる最善のことであり、警告されるのは元々わかっていたこと。
選手がチームのために判断し、決断したことだから、それをレフェリーに「ない」と言われる筋合いは全くない。
それに加えて、試合中のあの態度は納得がいかない」と話をされました

僕は、手を使ったファウルがいけないものだと考えていること、
「ない」という表現はその場面で注意をするために出て来てしまった言葉であることで、その選択を否定する意図ではなかったこと、
試合中でレフェリー然とする必要があって、必死だったので睨むような形になってしまったのかもしれない、と伝えました。

すると、
「だったら、「大樹さん、それ警告ね」でいいじゃん。
そうやって言われたら俺もおっけーおっけーってなるよ。

たぶん、これを注意する言葉はないんだと思うよ、選手の判断を否定することになるんだから。どうやっても注意しようとすると、今日の「ない」っていう表現になっちゃうんだと思う。」

僕にとっては衝撃的でした。
ファウルはよくないものだと思っていたのに対して、チームのために警告を分かっててファウルをしていた大樹さん

レベルが全く違いました。

すごいなという思いがありながらも、自分のレベルの低さが悔しくて、
この経験から、僕はファウルの考え方や、選手への声の掛け方を徹底的に考え見直すようになりました。

これが一つ前のnoteで書いた、「選手の思いを受け止める」ことの基礎になっていて、ファウルをした選手の感情を徐々に察するようになっていきます。

魅力的な試合を引き出すためにレフェリーがやるべきことは、
「選手にルールを守らせるのではなく、
ルールを破る覚悟をもってプレーをした選手の思いを受け止め、その選手に、「今の行為はルールを破ってますね」、という確認作業をすること」だと思います

これがまさしく、
「大樹さん、それ警告ね」なわけです。

ちなみに、僕が大樹さんのことを睨んだ疑惑に関しては、
「まぁ俺に突っかかってきたやつで、成長しなかったやつはいないからな笑」と許してもらいました笑

このファウルに対しての考え方があると、先日のマドリードダービーでのバルベルデのファウルを素晴らしい判断だったね、と評価することが出来るのですが、

今日は長く書きすぎてしまったので、
その話はまた別のところで番外編として書きたいと思います。

次回はプライドについて書きたいと思います。

それでは。

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