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Vol.6 伝え方編

6回目の今日は伝え方に関してです。 

Vol.4のプライド編でご紹介した審判養成コースでのプレゼン活動をきっかけに、
試合中やプライベートの場面であっても、
僕はこの1年間、「思いの伝え方」に徹底的に拘ってきました。

そこで今日は、僕がこの1年間で感じた「伝える」ということを、
プレゼンでの伝え方をメインに、レフェリーでの経験、気付きを交えながら、
社会で共通して使えるように落とし込んでみたいなと思います。

まずは、僕が「思いの伝え方」に拘るようになった経緯から書いていきます。

プライド編で書いたように、
僕は大学3年時に、飾らない自分自身の姿を「等身大」というプレゼンで発表したことで、このコースで生きやすくなり、「信頼」を得ることが出来ました。
まだ読んでいない方は、ぜひ下のリンクから読んでみてください。

実は大学2年までの期間はこのコースにいる意義を見出すことが出来ていなかったのですが、
大学の3年目にこのプレゼンをしたことで、
僕は自分が変わる第一歩目を踏み出すことができました。

ここまでの2年間は、
「もっとやれ」と言われる声に苦しんだり、
コースの代表とぶつかって、もはや見放される状態になったり笑

苦しかったんですが、
このプレゼンで全てが一変したんです。

“プレゼンの神”として有名な澤円さんが、R25での記事で話していた内容に近いかもしれません。
彼は自分自身がポンコツだと言い、様々なエピソードをお持ちなんですが、
そのポンコツ脱出法としてこんな話をしています。

「ゲームがリセットされる瞬間に動く」ということです。
自分がポンコツとされている「仕事デキるゲーム」が、ある日リセットされて、みんなゼロからのスタートになることってあるんです。

僕自身、ポンコツな自分を変えられたのは1995年にインターネットが普及したタイミングなんですよ。インターネットが出てきたときに、「これだ!」とピンときて、借金をしてPCや最新ガジェットを買って、勉強会に参加しました。

そうしているうちに「社内で一番インターネットに詳しいヤツ」っていう“タグ”が付いて、ポンコツから重宝される存在に、一気にクラスチェンジしたんですよ。

僕の場合は、
明確な「変わる!」という決意を持って、
自分で勝手に、強引にリセットボタンを押したんですが、笑
僕が自分自身の失敗を赤裸々に語り、曝け出したプレゼンをしたことで、
コースでの「良いプレゼン像」というのが壊れたんですね。

これまで、
「論理的である」ことや「数値的な指標がある」ことが重視され、
そこに従ったプレゼンが顔を並べていた中で、
徹底的に自分と向き合って、
「自分自身の経験」「自分自身の思い」をありのままに伝えるプレゼンをした訳です。

そして、そのプレゼンが「良かった」という評価を得ました。

もちろんそこには多くの改善点がありますし、
「思いだけのプレゼン」では、聞いている人には「あいつ熱いな」くらいにしか伝わらないという現実もありますが、
僕は今でもプレゼンに「思いがある」ことを大事にしています。

ちょっと、僕が考える「伝える」ことの定義が漏れ始めてしまったので、
溢れる前にちゃんと本題に入りたいと思います。笑

そもそもプレゼンテーションというのは、
本来は伝えたいことがあって、あくまでそれを人に伝えるためのツールだと僕は認識しています。

それがビジネスの世界では、自社の商品をアピールするために使われたり、経営計画を視覚的に分かりやすく伝えるために使われていると思います。

そしてこのツールは、
話し手の伝えたいことが、伝わったかどうか聞き手の評価を持って、初めて完結すると思います。
なので、自分の思いがいくら強くてもそれが相手に伝わらなければ全く意味がなくなってしまいます。

前提として、僕らのコースでのプレゼン活動は、そもそも話す場が提供されていて、聞き手が一定数いるという状況であり、
話を聞いてもらう段階まで行くのでさえ大変なビジネスの現場と比較すると第一関門を突破できているので、相当恵まれている環境である、ということが言えると思います。

確かに一方で、僕ら学生が「プレゼンという場」と「テーマ」だけを与えられた時、そのテーマに基づく自分の伝えたいことがない場合は、それがプレゼンという形だけの場になってしまう難しさはあるな思います。

さぁそんな前提を踏まえて、
具体的にプレゼンについて話していこうと思います。

究極的な話をすると、プレゼンって、How to say>What to sayで、
つまり、「何を言うか」じゃなくて、「どう言うか」ってことだなと思っています。

スライドがめちゃめちゃ綺麗でもなんか伝わらないプレゼンもあるし、
逆にスライドの作りは初心者なんだけど、なんか響く話があったりするものです

例えるならば、
世の中には歌が上手い人はいっぱいます。
でもカラオケの点数がどんなに高くっても、目の前のお客さんに響かなければ歌手にはなれませんよね?

僕はダウンタウンの二人で歌う「チキンライス」という歌が好きなのですが、
浜田さんが歌が上手いかと言われると、そうではなくて笑
歌い方のテクニックというより、彼らの歌に込めるメッセージによって響く人がたくさんいるんじゃないかなと思います。

これはアーティストの例ですが、
プレゼンをする人はみな表現者になると思うので、根本は同じだと思います。

僕は、響く話が出来る人は、これから自分が話す内容を本気で信じていて、本気で伝えたいなって思ってる人で、
その内容に関してはその伝えたい思い、意思が届いてから初めてフィードバックが出来るんじゃないかな、と思います。

つい先日のテラスハウスで、
スタンドアップコメディアンとしてのキャリアをスタートさせた快のライブで、
「日本の会社員はなぜ自殺しないのか」というテーマで話をし、会場が笑いではなく暗い雰囲気に包まれてしまったことが、テラスハウス内のメンバーやスタジオメンバーの議論を呼びました。
僕はこれに対する山ちゃんのコメントが沁みました。

「自分で経験した上でのコメントではないからなんだろうな。本当に思っていないからなんだろうな。」

これは、快が話した内容が悪かったんではないんです。
放送でもありましたが、これがバツイチのサラリーマンが話すのであれば自虐になって、笑いになるかもしれません。
でも、残念ながら快にはその経験もないし、なぜ自殺しないのか、ということを本気で思っているわけではないんですね。
自分の経験が伴わないと、スタンドアップコメディーっぽい話をしただけになってしまい、薄くなってしまうし、
そもそもちょっとブラックな内容を話すスタンドアップコメディーでは、プレゼンにはない、ただのディスりになってしまう、という大きなリスクがあるという訳です。

だから、
快には「話した内容を振り返る」のではなく、
「自分が本気で思っていないことをスタンドアップコメディー風に話したことを振り返る」ことをしてほしいなと思います笑

僕がこういう風に思うようになったのは、
レフェリーとして海外のチーム同士の試合を担当したことによります。
日本にいても、海外のチームの試合をやる機会はしばしばあるのですが、
初めてその試合を担当した時に、
僕は完全に歯が立たなかったんです。

もっと高いレベルの試合を担当したこともあったはずで、
もっとプレースピードが速い試合をしたこともあったはずなのに、
選手には話を聞いてもらえず、僕はその試合から置いてけぼりになってしまいました。笑

僕はこの時、小手先の英語力と知っている単語で選手に話を聞いてもらおうとしていたのですが、
それでは全く話を聞いてもらえないことが分かりました。
英語力ではなく伝えようとする思いの本気度なんです。
英語は気持ち、という人がいますが、それははあながち間違ってはいないなと思います。

例えば、プレーが再開される時に、守備側の選手がボールの近くから離れない時、
辞書で「離れて」と調べたような「step back」とか「step away」という覚えたての言葉を言ってみるより、
「離れろ!!」と日本語で、目を合わせて叫んだ方が、
言葉は通じずとも、その本気度によって、「なんかこのレフェリーやばいな、怒ってる。離れておこう笑」となるものです。笑

この考え方の根底には、
湘南ベルマーレの前監督である曹貴裁さんの言葉があります。
パワハラ問題で話題になりましたが一回そのバイアスは外して読んでいただければと思います。

昔、J Sportsの番組に選手や監督の対談形式で進む「talking × foot」というものがありました。
この番組のある回に、
当時湘南の曹監督と、当時岡山の長澤監督が対談するものがありました。
同年代のお二人は、どちらもユースの育成を経験されていて、マネジメントの本質はトップチームの大人でも同じであるということを話していました。

育成やってると、
子供達よりも論理は俺たちの方が強いじゃん?
それで論破はできるんだけど、論理では子供達って動かなくて、
「このおっさん本気か?」というのをみてるのであって、
マネジメントの本質ってそこだと思うんだよね
だから最近は育成上がりの監督増えてるよね

僕は、「このおっさん本気か?」というのは、
「このレフェリー本気か?」と置き換えられると思いました。

この文章の初めに、
「響く話が出来る人は、これから自分が話す内容を本気で信じていて、本気で伝えたいなって思ってる人だ」と書きました。

プレゼンも、レフェリーも根本は同じであるように感じませんか?

僕は、審判養成コースの活動の一環でプレゼンをやるのは、
これに気づくためだと思っています。

「言葉には発する理由がある」
これは劇団四季のメンバー、佐藤政樹さんの言葉です。

佐藤さん曰く、
言葉を発する時には我々には3つの意識のスタンスがあります。

一つ目は、頭に意識がある時。
これは、次に何を話そうか考えていたり、メモを読んでいるような時です。
二つ目は、胸に意識がある時。
これは緊張している時や、頑張って一生懸命伝えようとしている時、感情を込めようとした時です。

そして三つ目が大事です。
肚(=はら)に意識が落とし込まれた時、
説得力があったり、動じなかったり、それでいて自然体の自分で話すことができます。

言葉を発する理由をハラオチさせるんですね。

日本では昔から、ハラという言葉はよく使われていて、
ハラを割る、ハラをくくるなど、人間の気持ちの部分の中心を描写することが多いですね。

ハラオチするためには、
なぜ自分がプレゼンでこのことを話すのか。
なぜ選手に「離れろ」と声をかけるのか。

それを徹底的に考えないといけません。
これは就活でも同じですね。

なぜこの業界なのか、なぜ御社なのか。
それが自分の中でハラオチしていないと、いくら論理が通っていても借りてきた言葉では伝わりません。
だから、自己分析をしろと言われるし、業界研究をしろと言われるんですね

就活中でこういう作業を苦しいと感じている人は、
この分析は企業に話すためではなく、
自分自身にハラオチさせるためだと思ってやってみてください。
そうすると控室で自分が作った志望動機を必死に読み込んで暗記しなくても自然に話せるようになりますよ。

まとめになりますが、
このハラオチした言葉の連続するプレゼンが伝わるということです。

僕が3年生の時のプレゼンは、
自分の経験談で、徹底的に自分と向き合ったものなので全ての言葉がハラオチしています。
根拠は全て僕がここまで生きてきたということです。笑
なので、他の人はそれに対して薄いとか、根拠がないとかツッコミようがないんですね。笑

もちろんプレゼン技術は向上させる必要はありますが、

「何を伝えたいのか」
「その伝える内容を本気で信じているのか」
「その時、借りてきた言葉ではなく、自分でハラオチした言葉で話せているか」

この要素が揃えば、伝わるプレゼン、本気のレフェリー、伝わる就職面接になるのではないでしょうか。

言葉をハラオチさせる。
ぜひ人と話す時に意識してみてください。


まただいぶ長くなってしまいました。

それでは。

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