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#最終回 自分のことを知りたくて。 -本棚から見る自己分析学-

今日は番外編かつ、最終回です。

この企画を進めていく中で、直接、またラインでフィードバックをいただくことがありました。
思いも寄らない人からコメントをもらう機会もあったりして、意外と読んでもらっているんだなぁとありがたさを実感しています。

今回は、そんなフィードバックの中の一つに大切な気付きがあったので番外編として記録に残しておきたいと思います。
(そして、これを最終回とする事にしました。)

隈研吾さんの『人の住処』と僕が京都に行って考えた事を絡めて書いた#5の投稿を読んでくれた友達からこんな事を言われました。

「普通、京都に行って空間の事考えんよな。歩いて暑いだけの街やで(笑)」

なるほどなぁと思いました。
確かに、普通京都に行って空間の事は考えない。笑
数年前、数ヶ月前の自分もそんな事考えもしなかった。

普通考えないのに、なんでそんな事を考えたのかということの返答がパッと思い付かず、その場では正直特に意味のない返答しか出来なくて。

この「なぜ」の部分はこれを書くにあたってすごく大事な事で、
でも企画を始めた時には考えていなかった事だったので、この辺で理由付けして置かなければなと気づかされました。

「なぜ」をしばらく考えていたのですが、家に帰った後、スーパーで買い物をしてる時に「あっ、こう話せばよかったんだな」というのが降りて来たので急いで文章を書くことにしました。

「なぜ」に対する答えとして直感的に出て来た事は、
「物事を色んな視点で見れた方が楽しいし、豊かだし、人に優しくなれんじゃん」という事。

最近のエピソードで例を出してみましょう。
この前博物館に行った時、展示の中の一つに古地図のコーナーがありました。
僕にとってはその展示は正直そんなに魅力的ではなくて、ガラスケースを遠くから立ったまま眺めて、「展示してあるなぁ」という感想で十分でした。

でもその時の連れが、ガラスケースに近づき、目線を下げて座り、近くでじっくり古地図を見ようとしていたので、僕もそれに合わせて覗いてみる事にしました。

腰を据えて、じっくり見始めるとそれが結構面白くて。
それは江戸時代に作られた鳥瞰図で、
例えば今は当たり前にある北海道が地図の中になくて、「そっか日本の領土としたのは明治になってからか」という気づきがあったり、
「キツイ」って地名があってそんな地名おかしいでしょって突っ込んでたら、武蔵の国が「サシム」ってなってたり、神奈川が「川カナ」と書かれているのに気付いて、「あー、イツキならありそう」って思ったり。笑

そうやって見始めると、この線は赤で書いてあるのになんでこっちは緑なんだろうとか考え出して、それが解説を見ても説明がなかったりして、これが分かればもっと面白いのに、、と見向きもしていなかった解説文にケチをつけ始めたりする。笑

こういう経験をすると、
自分にとって一見魅力的じゃない世界でも、外から見るだけじゃなくて、その世界をちゃんと覗いてみると魅力的なんだなと気付くんです。
自分は価値がないと思うものでも、誰かにとってはすごく魅力的でワクワクするものかもしれない。

だから誰かが興味を持っている事に対して「そんなんしょーもない。」なんて言うべきじゃないなと気づくし、
「普通地図見てそんなん考える?」と言う時にその「普通」が共有出来る領域は自分が思っているより案外狭いんじゃないかなと思います。

これが、「物事を色んな視点で見れた方が楽しいし、豊かだし、人に優しくなれんじゃん」という事です。

地図に限らず色んなことを知っていると、ただ景色として、現象としてしか目に入ってきていなかった物が意味のあるものになってくると思います。
これは仕事をする上でも一緒で。
配属初日には文字の羅列でしかなかった書類の見方が分かると、意味のあるものになってくる。
仕事柄毎日コンテナを見るのですが、配属初日には鉄の塊でしかなかったものが知識がつくと、すごく意味のあるものになります。
全く同じに見えても、実は全く違うものだったり。

仕事に関しては、一つ一つ意味のあるものにしていくことを仕事を覚えると言うのかなぁとか思うのですが、これはまぁ置いておいて。

これまた先日の話ですが、
この「物事を色んな視点で見る」という事をもっと分かりやすく説明してくれる人に出会いました。

雑誌『egg』のディレクターとしてギャル文化を日本に発信し、現在は編集者のみならず、アジア、ヨーロッパにおいても作品と発信しつづけるアーティスト、米原康正さんです。

オンラインで米原さんと話す機会があったので参加した際に、
流行の見つけ方について、
「現場の人にならないこと。世の中から引いて見ること。」という言葉を残していました。

品質が良いのに売れていない商品があったとして、それが「なんで売れないのかなぁ」と考えてるうちはまだ現場の人。でも、世の中から引いて見た瞬間に答えが分かる。という表現をされていました。

先に書いた「物事を色んな視点で見る」という事をもっと直感的に分かりやすく表現したものが、「世の中を引いて見る」という事だなぁと、言葉にする力に感服しました。

でも世の中を引いて見るのはすごく難しい。
なかなか自分を客観視するだけでも難しいですからね。

僕のこのnoteの目的は、初めは自分が本を読んで感じた事を記録に残し、自分自身を見つめる事でした。
「自分のことを知りたくて。-本棚から見る自己分析学-」というタイトルをつけました。

しかし今回のnoteを通じて、自己分析をしたいというよりも「世の中を引いて見る力」をつけたい、視野が狭くなる事をすごく恐れているんだな、という自分の思いに気がつきました。
(意図した形ではないですが、自己分析企画としては大成功です。笑)

自己分析が完結するわけなどもちろんないですし、世の中を引いて見ようとする過程で結果的にすごく自分に向き合う事になると思います。

ということで、6回目を終えてタイトルを変えようと思います。
新しいタイトルはもう少し考えます。

この企画をメインとして投稿するのは今回で最終回です。
(前回のNizi Proはもう既に本ではなかったんですけどね。笑)

ただ、本から学ぶ事はとても多いし、僕自身好きなので新しいタイトルの中の1コーナーとして残したいと思います。

「世の中を引いて見る力」を探求する長い道のりです。
よろしければ、どうぞ今後もお付き合い下さい。

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