ふつうってナンダ?
ふつうって、マジョリティのことだよね?
でも世界はマイノリティの集合体でできている。と思う。
倖田來未の歌じゃないけど、「ギリギリの世界で生きている。誰もがみんな強くはない」っていう思いの人たちが集まったり共感しあったりして生きているのではないか?
であるならば、マイノリティを大事にできる社会こそが、マジョリティの幸せに繋がるのだと思う。
…しかしながら、子どもたちは非常に早い段階で「ふつう」の壁にぶち当たる。っていうか親(私)がぶち当たる。
ふつうの食欲、ふつうの睡眠時間、ふつうのご機嫌…そもそも乳児期はただでさえ大変なのに、ふつうを意識するプレッシャーに押しつぶされそうになる。
しかし、子は育つ。
なあんだ、寝る時間遅かったけど、偏食だけど、よく泣いたけど、それなりに元気に育ったな。うちの子ふつうだったのかな。
そんな風に気持ちの落とし所を見つけて着地しようとした頃、第二の「ふつうの壁」にぶち当たる。保育園、または幼稚園だ。
保護者に対しては言葉こそ選ぶが、集団に不適応な子は「ふつうではない」とレッテルを貼られ、やんわりと療育を勧められる。
え〜…うちの子ふつうじゃないんだ…。
でもさ、そもそも私の小さい頃もこんな感じだったんじゃない?
てか子どもってこんなもんじゃないの?
空気を読むとか、集団に合わせるとか、そんなことができないのが子どもじゃないの?
このあたりで気づき始める。
あれっ…。私もふつうじゃないのか??
平々凡々な人生を送って来たと思っていたけれど、確かに親や親族はみんな自営業でマイペースだし(偏見)、留年も浪人も幼稚園中退も全く咎められずに育てられてきた。あれ、幼稚園辞める子って珍しいのかな?
あれ?
最初の問いに戻ろう。 ふつうって、きっと人数が多いことを言うんだよね?
多くの人はきっと保育園なり幼稚園なりに行って、紆余曲折があっても大概はあまり休まず学校に行って、就職して同じ場所に勤めているのだろう。
私は、幼稚園も辞めたし、小中学校は波風立たなかったけれど、高校あたりからまた進路に悩んで沖縄に家出したり、時々引きこもったり、かと思えば中米にボランティアに行ったり。
とにかく変わったことをしてる意識はなかったけど変わっていたのかもしれない。幼少期に、全く合わなくて辞めた幼稚園。あそこってどんなところだったのだろう?
私にとっては異文化だ。
ちょっとのぞいてみたい。「ふつう」なるものの世界を覗かせて下さい。
ってな気持ちで、自身の出産・子育てを機におばちゃん新人保育士やっています(いずれ幼稚園教諭も取りたいと思っています)。
異文化の仮面を被って、いわゆる「ふつう」の世界に潜入中(長時間勤務も生まれて初めて)。「ふつうの世界ふしぎ発見!!」をレポートしていきたいと思います。
独断と偏見もかなりありますが、そもそも異文化の人間が自分の物差しを捨てきれずに見ている世界なのでご容赦ください。