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身体に聞け

テレワークが続き、時間の概念が、壊れかけつつあります。

…いえ、時計は読めるし、時間もわかります。
けれど、毎朝通勤してた頃の様に、分刻みの時間感覚がなくなっていることに、最近気づきました。
通勤をしていると、どうしても電車やバスの乗り換えがあるから、55分に着いて、乗り換え10分しかないから、ちょっと急がないと間に合わないな、とか、結構分刻みな生活が普通だったな、と。
今は、10分20分くらいの誤差なら、別に気にしなくなっています。
夕飯食べるにしても、何時までに食べないと明日に響くな、というような奇妙な固定概念が無くなりました。なんなら、朝、昼、晩、くらいの大きな区切りでもいいかな、くらいまできてるかも。

けど、それって、なんだか、本来にの姿に戻った、というような感覚もあります。

元々、身体が感じる太陽の光だったり、湿気だったりで、雨降りそうとか、今日は暑くなるなーなんて感じてきたことを、おろそかにしてたのかな、と。
便利なお天気アプリからの通知で、明日の気温や、豪雨予報を30分前に受け取って…まぁ、便利なんですけど、なんかフィットしないな、と。
…いえ!とても助かってはいます!豪雨情報!本当に!けれど、そんな便利さに頼りすぎて、自分の感覚を放ったらかしにしてるのが、なんとなくフィットしなかったんだなと、思い至りました。

日没を、こんなに感じているのは、子供の頃以来です。
知ってました?毎日1分ずつ、日没がはやまってるとか!
ついこの前まで19時近くまで明るかったのに、もう17時半前には日没とか!
いや、本当、当たり前なのかもですが、こんなに日没を体感して自覚して生活しているの、人生初な気がします。

時間概念は、そんな風にアバウトになってきているのに、逆に感覚が鋭敏になってきているものがあります。
それが、味覚。

コロナ前は、毎食コンビニおにぎりでもいいや、何なら食べなくってもいいかなって感じだったんです。
しかし今や、口から入るものが身体をつくっているんだ感というか、食べ物大事、っていう意識が高くなってきていて、お出汁から味噌汁作るとか、納豆にオクラと梅干混ぜるとか、ちょっとひと手間かけて、美味しいものを食べる、という行為が苦ではなくなりました。
人生、後、何回食事ができるのか、とか、極端に言うと、そんな意識が芽生えたのかな?どうせなら、美味しいもの、好きなものを、食べられる時に食べておけよ!自分!!と思ったというか。
それもこれも、そういうことを考え、料理出来る時間が生まれたからですよね。

どんだけ時間に追われて、自分自身が置いてけぼりだったんだか。

自分自身に、もうちょっと気を使って、自分が食べたい物、読みたい本、聞きたい音楽を、身体に入れていこうと思う、今日この頃です。


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