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『覚り人』と仏教の根底にあるもの

仏教では、無分別として有無・善悪などの分別を超えていくことを説く。

心の方向性によって、同じものごとでも善にもなり、悪にもなるということである。認識するということが、分別するということになり、偏りが生じていることになる。制御とはこの偏りを無くすことだといえる。自分の認識を一度否定してみて、違う見方をしてみるということだ。ここに気づきというものがあらわれる。気づきとは、自分が当たり前だとか、正しいと思って見ていることを、改めて見ることによって、それまでに見えていたものとは違う景色が見えてくること。その結果として、心の方向性がはっきりとしてくる。
仏になるための実践とは、些細なことにも、自分の認識を疑ってみることによって、心に何らかの変化が起き、気づきが起こり、それを制御する、これを繰り返しているうちに、心が浄化され、やがて悟りに至るのだと考える。この気づきというのは、人によって千差万別であり、これだということはできないことから、仏教の教えの基本は対機説法であり応病与薬であるのだ。
仏教の根本的なところで共有されていることは、「気づき」ということであり、気づきに基づく「心の制御」によって心を浄化していくこと。心に方向性を持たせ、その人の一番進みたいこと、天命にその力を発揮させる。これが、覚り人メソッドであり、さらには、仏教の実践ではないかと考える。

覚り人 まとめ

当たり前、自己認識を改めて見つめなおすことで、気づきが起きる

気づきに基づく行動、在り方によって心の浄化が起きる

心の制御 方向性がはっきりすることで、天命に沿った生き方ができる


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