妊活を始めた話

2019年10月に入籍して新婚旅行は今年の4月の予定だった。
お互いあまりに余っている休暇をたっぷりつかって、オランダでは満開のチューリップを楽しみ、運河に浮かぶボートに泊まり、その後はアイスランドに移動して8日間。大自然の中アイスランドホースに乗り、川から湧く温泉に浸かり、ヴァイキングの扮装で写真を撮ってもらえるスタジオや、予約がなかなかとれないミシュラン星付きレストランもブッキングした。

…が、しかし。新型コロナウイルスの蔓延で世界的に移動困難となった世界では私達の新婚旅行は当然の事ながら中止せざるを得なかった。
いつ終わるかもわからないこの混乱の中、私の一番の心配事は
「妊活どうしよう」だった。

本来であれば新婚旅行を楽しく過ごしてから日本に戻り、さて念願の子供でも。というつもりだったのに、いつ新婚旅行に行けるかわからなくなってしまった今、さあどうしよう。となる。

私達夫婦は子供を望んでいる。
私は今年33歳、夫は36歳。今どき珍しいほど遅くはないが、そんなに早い結婚でもない。
私は片方の卵巣を若い頃手術済み、現在子宮内膜症持ち。一般的に妊娠の可能性が高いとは言えない。

できればすぐにでも妊活をしたい。でも新婚旅行は?一生に一度しか行けないような遠い所、だからアイスランドを選んだ。
これを逃したら一生行けないかもしれない。妊娠したら、子供が産まれたら、きっと難しいだろう。

もやもや悩んでいる私に夫から
「安全に旅行できる日がいつくるかわからないから、妊活先にする?」との一言。
「じゃあ旅行はもう諦めるしかないの?」とさめざめ泣きそうになると
「子供が産まれてから行っても良い。旅行中親に見て貰ったり、一緒に旅行して1日だけはベビーシッターを雇ったりしてもいい。」と言ってくれた。

「そんなのありかな」というと「ありだよ。大丈夫。今はきっと旅行より子供が大事。」とトントンと私の腕をタップする。

そして昨日、初めて避妊せずにセックスをした。(エロい話はないよ)

私は今までいい恋愛もそんなにな恋愛もそれなりにしてきたけれど、ずっとセックスを肯定的に捉える事ができなかった。
10代の頃は歓喜の歌がこの身体から漏れ聴こえるその日を夢見ていたけれど、実際襲来したそれはとてもとても恐ろしくて、どんなに愛していると思っていても優しく愛を囁かれても、冷や汗が止まらず身体がこわばり(早く終わって欲しい)と祈りながら身体を揺らしていた。

特に性的なトラウマがあるわけでなく、ただ純粋に楽しめなかった。
誰もが大好きな甘美な秘密の果実は、私には苦くてたまらなかったけれど、皆が美味しそうに頬張るそれを無下に扱うこともできず、私も美味しい美味しいと楽しむふりを続けていた。
(ノンセクシャル(無性愛)という言葉を知って、あ、これかも、と思ったときは心底ほっとした)

夫との出会いは機会があったらまた書くとして、
夫と初めて結ばれた時に、冷や汗もなく、虚しさもなく、歓喜の歌とまでは行かずとも、普段とは違う栄養が心に注がれたのを感じた。
とにかく大丈夫、大丈夫だった。

話を妊活の昨日に戻す。
そんな不器用な私の、初めての子供を作るための行為はとてつもない喜びと充足感があった。肉体的な悦ではなく、それはまさしく生命の讃歌であり、あの日夢見た歓喜の歌のようで、目から涙が止まらなかった。

行為が終わって初めて「産まれてきてよかった」と思った。
幾年も幾年も昔から、人々が紡いできた行為に初めて参加できたと思った。
私の父と母も、祖父母も、こうやって愛し合ったんだろうか。

幾多の人が本当に愛し合ったかどうかはわからない、きっと仕方なく望まずに授かった人もいるだろう。それでも、本当に歓喜の中、それこそ奇跡のように子宝を授かった人もたくさんいるんだろう。
私の友人やすれ違う人、みんなこうやって世界にやってきたのかと感慨を覚えた。

私は思春期に、20代後半まで続く長い長い思春期に
「私は誰からも愛されていないし、自分自身も他人も愛することが出来ない」とずっと感じていた。
自分で言うのもなんだけど恵まれた家庭に産まれた。祖父母と両親、兄姉に二頭のプードル。
生活は多分人並み以上だったし、欲しい物はなんでも手に入れてきた。それでも、虚しくて虚しくて満たされなくてしょうがなくて、子供なんて当然欲しくなかった。
だってあんな完璧な家庭で産まれ、何不自由なく育ててもらったのに私はずっと悲しくて虚しかったから。

ずっと産まれてきた意味を探していて、それが、昨日、私の中でやっと解けた。
悲しいこと、辛いこと、普通の人生で普通に生きて、それだけだけど、色々あった。死にたいと思ってしまった事もある。
それでもなんとか生きていて真面目にやってきてよかった。
お父さんお母さん、私に人生という贈り物をありがとう。

妊活はまだ始めたばかり、一生かけても授かるかどうかもわからない、けれどいつか子供が出来たとしたら、あなたは本当に愛し合って、望まれてここに来たんだよ。と伝えられたら幸福だろうな。

昨日の出来事はあまりに感動的でどうにか言葉にして残したいと思ってnoteを開いたけれど、なんだかすごく当たり前なありきたりな感じだな。
きっと以前の私が読んだら「はいはいありがちありがち」って言いそう。

数多の死ぬほど普通の人生へ、万歳三唱。
愛し合ってくれてありがとう。

生まれてきてくれてありがとう。

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