my message in a bottle

noteを始めたのは、明日も明後日も一ヶ月後も一年後も、
なんやかんやがあっても当然健康で元気にいるだろうという、なんとなくの楽観的な予測がもしかしたら外れるのかもしれないなんてぼんやり考えていた所に大林監督の訃報を見て、ああ、人はいついなくなるかわからないなといよいよ思い始めてのことである。

縁起でもない事だけれど今ここが世界の緩やかな終わりの始まりだったとして、私は何か後悔するだろうか。

明日世界が終わるとして、と考えてみる。

案外受け入れられるかもしれない。
「全てに満足しているか」と問われたら
「全てが完璧ではないけれど、それはどこまで行っても同じじゃないのかしら」と答えると思う。

愛する人がいて、家族や友達との思い出があって、二匹の猫がいて。
この穏やかな日々に身を任せ、思いやりを忘れず気高くいられるうちに眠るように…なんて小娘でもあるまいし縁起でもない事を言うのは一旦やめよう。

人生に現状満足している私は世界の終わりを意識して何を思ったか、
そんな事を書き連ねて行けたらと思う。言わないと後悔しそうな事とか、くだらない話、本当に平凡で中庸な私が、ただ生きていた、それだけの事を。

私がいなくなった世界で、電子の海の中に私の言葉をそっと忍ばせて泳がせて、いつかこの言葉が誰かに届いて…も届かなくてもいい。

この海の先で誰かが生きて、生活しているんだと想像するだけで、救われる。

これはそんな私のための手記。

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