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『分散脳 バラバラな思考がひとつになる時~自閉症スペクトラム障害の私が語ること,書くことの意味』

本書は自閉症スペクトラム障害の当事者であるみほさんが、自分が体験してきたエピソードを自らの言葉で綴るとともに、当人をサポートする母親と研究者の考察を加え、それらをテーマごとにまとめた構成になっている。記憶、感覚、認知、言語・コミュニケーション、注意・実行機能、構成行為・運動、対人心理と7つのテーマに分けられ、それぞれが具体的なエピソードに基づいて簡潔かつ読みやすく書かれている。

自閉症者は一般的に、他者の気持ちを理解するのが難しいと言われる。定型発達者が自然と獲得する言語能力や心の論理、自己抑制といったものがなかなか獲得できず、周囲と異なる行動をとってしまうとされている。本書では、そうした状態が発生する要因や過程に対する考察が具体的な個人史と伴いながら考察されている。

例えばみほさんは、質問をされることで初めて自分の考えを言語として表出し、それにより自分のことを理解する傾向があることを本の中でたびたび語っている。以前であれば、そもそも言葉と言葉が指すものとが一致している感覚があまりなく、また他者と言葉でのコミュニケーションが可能性であるという実感がなかった。それは自閉症独自の認知的・器質的な特徴や、感覚の過敏さ、そして自発的な意思表示をするという発想自体がなかったことが要因として挙げられている。それでも周囲の理解者や同級生との交流を通じて、言語表現を学び適切な日常生活を送ることを求める気持ちが生まれてくる。そうして学習や反省を通してより良いコミュニケーションを目指す意欲を持つようになったという。

本書を一読して思うのは、「意思表示の困難さ」という現象がいかに様々な要因が複雑に絡み合ことで発生しているのか、ということだ。たとえ一定水準の言語運用能力があったとしても、他者と言語を介してコミュニケーションができるという認識がなければ会話は発生せず、したがって周囲の人からは「言葉がわからない」というレッテルを貼られてしまう。他にも自分の目で見ている言葉と耳で聞く言葉のマッチングや、自分の記憶にある言葉と自分が発声する言葉の結びつき、また自分の発声を聴取し適切な音声に訂正する身体的コントロールなども、「意思表示の困難さ」へと結びついてしまう。そうした複雑さが理解されないまま、わかりやすい結果が評価されることへの違和感を、中学卒業時のみほさんはこのように書いている。

試験が合格と分かるとまた周りの人たちの私を見る目が変わってくるのです。人間って不思議なもので、何かが出来るのがわかると、人が変わっていないのに賞賛の目で今度は見るのです。「同じみほなのに」こんなに不思議なことはありません。何か人と違うことが出来るようになると、同じ人なのにこんなにも、人は接し方や待遇が違ってくるものなのだと言うことを、身をもって体験しました(p122)

一方で彼女は、これまで出会ってきた友達や学校の先生、そして家族への感謝の言葉も述べている。理解しようと歩み寄ってくれる人たちに支えられ、今の私がある、と。そして過去や現状の自分の状態を省みて、一歩ずつ成長しようとしている。嫌な記憶や自分の特性のままならなさに思い悩みながらも、出来ることが増えていく喜びを噛み締めている。

また自閉症者と定型発達者の「架け橋となる」という目標を持ちながら、なかなか達成できていないことも語られている(p124)。たしかに先行する方法論やロールモデルが存在しないその目標は、実現への道筋がなかなか見えづらいものだ。自閉症者にもそれぞれ個性があり、一筋縄ではいかないだろう。しかし、この本を通して知ることができたのは、ふとした気付きや出会いによって彼女が乗り越えてきた壁の数々だ。偶然のきっかけもあれば、努力の賜物であったその成長の軌跡は、彼女が掲げている「架け橋となる」という目標もいつか達成できるのではないかという希望を抱かせてくれる。そしてそれは自閉症者のことも定型発達者のことも、そして何よりみほさん自身のことをより深く理解することができる未来なのだと思う。


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