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母と兄の噛み合わなさについて

2019年の冬に帰省した時、最近実家の近くに知的障害者が通所して簡易な労働ができる施設ができたと母親から聞いた。

「そこなら家から近いし、今通ってる遠いとこより送り迎えが楽かなーと思って。明日見学行くけど一緒に行く?朝早いけどね。」

車で5分ほど行った駅のそばにあるその施設は確かに家から近かった。朝8時に到着し、50組ほどの机と椅子が並べられた広い部屋の隅で、毎朝行なっているという朝の点呼や連絡事項、ラジオ体操などが行われる風景を見た。朝の日差しがたっぷり差し込んでくる部屋の椅子に腰掛けた30人ほどの通所者たちは、真面目そうに聞いたり、上の空だったり、何かに集中していたり、居眠りしていたりしていた。

時間になり、それぞれ各自が行う作業場へと向かっていった。母と兄と私は、施設内でどのようなタイプの作業があるのかを案内してもらうことにした。金具についた細かい汚れを綺麗にしていく作業と、企業のダイレクトメールを補助ソフトを使用しながら作成していく作業なら兄にもできるかもしれない、となり体験してみることになった。

細いヘラを使って工業用の金具に着いた黒く小さいゴム片を取り除く作業は根気と集中力がいる。兄は大雑把にゴム片を取り除いた金具を母に見せ、「これでどうです?」(兄は基本敬語で話す)と尋ねる。母は、「まだここに残ってるみたいだよ?」と指摘する。「えっ、どこです?」と兄が返す。「ほらここ。あとこっちにも」という会話が幾度となく交わされる。

度重なるダメ出しを受け、兄の機嫌が次第に悪くなる。パターンはいつもとだいたい同じ。言葉遣いが荒々しくなり、体を震わせる。怒りが高まると持ち物を振り上げながら罵倒したり、包丁を持とうとしたりする。暴力沙汰になったことは確か無かったと思うが(私との兄弟喧嘩は除く)、器物破損で警察沙汰になったことはある。

母親は同じ調子で兄にダメ出しをし続け、兄はどんどん不機嫌になる。とうとう声を荒げる兄に対して母は「なんでそんなこと言うの?」と驚く。

いつものパターンだ。私はその間に入って2人のコミュニケーションを断ち切る。兄の気を紛らわせるよう別の話題を振って流れを変える。

この施設では作業をするかどうかは本人次第で、「通い始めて半年間ぼーっと外を眺めてから作業し始めた人もいますし」とのこと。全体的に見ればつつがなく見学が終わり、母もここに通わせることに決めたようだ。


その日の午後、母と買い物へと出かけた私は午前中のことを話してみた。あの時、母の注意の仕方が兄の怒りを高めていた、と。母は「そうかなあ・・。突然怒り出したみたいだったけど」と言う。兄が起こる時の身体的変化にはほとんど気付いていないようだった。

実家では主に母が、兄とコミュニケーションをとる。父はあまりしない。父が兄と話すと喧嘩になるそうだ。確かに20代に入った頃からだろうか、兄の怒りの沸点が低めのところで固定化し、一定の不快さを受け取ると爆発してしまうようになったのは。母自身は日々の兄とのコミュニケーションを結構楽しんでいるように見える。誰かと一緒に行動するのが好きな母は、よく兄と一緒に散歩したり何かを作ったりしている。

そうだろうなとは前々から思っていたけれど、今回のことでやっと確信した。母は、兄が身体で示している怒る兆候に気付かない。

私がそのことを母に細かく教え、母に対してダメ出しをすることはそう難しいことではない。が、それは私がして良いことではないだろう。実家を出たまま帰る予定もつもりもない私が、私よりも圧倒的に兄と一緒に過ごしている母に対して、偉ぶった指摘をすることはただただ無責任だからだ。

30代になって、以前とは違う考え方ができるようになった気がしている。10代の頃の私は兄に対して神経質なまでのダメ出しや注意をしていた。実家を出て20代になってから、過剰なまでに神経質だった自分を反省し、もっと緩やかに兄とコミュニケーションをするようになった。30代になった今は、目の前の問題に固執せずに長い目で見守っていく/放っておくことも必要なんだろうと考えるようになった。

日々問題は起きる。今すぐに解決した方が良いものもあれば、気にし過ぎないことが大切な場合もある。時間が経って解決することもあれば、別に解決が必要じゃなくなることだってある。そうやって少し長い余白を持てる関係性が家族なんだろう、と今の私は考えている。



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