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喧嘩してもなんでも切れないともだちがいる

今日は飲みに行くはずだった。

でも、心身ともに未だ身体の中がウワァーーーーーーー!ってしずかながらなっていて、どうしようもないのでキャンセルした。

ボジョレーの解禁日なのに。味はともかく祭りがすきだから、騒ぎたいだけなんだけど。ボジョレー祭りしたかったのに。

ごめんねのLINEと、思い切って今の本音(ウワァーーーー!)なことを話すと、友達が冷静に「あばれそうなの?外出できるならアクション映画でもみてきたら?ボジョレー解禁だよ。行けそうな日連絡してね」と返してくれた。こういうところがとても好きだ。余計な装飾のない、素の返事。嬉しいと思った。ボジョレー祭り今度しようね。

彼女とは幼稚園と、小中学校が一緒だった(田舎だから持ち上がりが多いのだ。そういう子、かなりいる)でも、よく話したい遊ぶようになったのは小5のときから。持ちあがりのそういう環境だったから、友達がいないわけじゃなかったけれど、誰かと一緒に年中いるのが苦手だった私に、ちょっと目立つけど変わった子に見えていた彼女が音楽の時間、たまたま隣に座って話しかけてきた。「楽譜読めるの?すごいね。」って。確かに楽譜はピアノを習っていたから読めたんだけど、私みたいな空気に、サラッとこんな風に話しかけてくれる子はいなかったから、びっくりしたのだ。

彼女は、花見だ芋ほりだザリガニ釣りだと、実家が農家で既に私がやる気のなくなった遊びに(しかもザリガニ触れないのに)興味があるらしく、畑で芋を掘って落ち葉を集めて焼き芋をしたり、中学生になってからザリガニを釣りにいったり、畑や田んぼの見回りをしたり(ただ田んぼの周りを散策するだけ)した。県営の団地に住んでいたから珍しいのだと思っていたが、この歳になっても実家に帰ってくると「後ろ(田んぼがあるほう)にいこうよ」と必ず言う。夏には夏の、冬には冬の野菜をとりたがる(嬉々として母が教えている。わたしは眺めている)息子もつれてくる。息子は可愛い。ちょっと変わっていて、手先が器用で、蒐集癖があり、料理がうまくて酒飲みの彼女が私はとてもすきだ。むかっとするときもあるけれど、すきなのはかわらない。

忘れられない言葉がある。20代で一番頭が不明瞭だったころ言われたことだ。彼女とも疎遠になっていたが、なんだけがのきっかけで飲んだんだ。そのとき「ななちゃん(仮名)とは何十年合わなくても大丈夫。それでも関係は変わらないじゃん」とふとした時に彼女が言った。確定で言い切りだった。その時は私は本当かな、とどこかで思っていた。でも彼女はそれから5年間が空こうがなんだろうが変わらない態度で接してくれる。目の前で失神したこともあるのに、変わらない。薬を飲んでいることを伝えたら「それは飲まないとどうなるの?何かあったとき必要だから教えて」と言ってくれた。そしてなにかにつけ、「もうどうなっても「嫌い」になんかならないよ。いつになってもばあさんになっても変わらないじゃん」と今でもたまに言ってくれる。私はそれを信じられる。どんな仲でも「もう一緒にいられない」ってなることもしっているけど、彼女とは言い合いをしても還暦祝いを一緒にしているだろうと予測できる。そうしたいと思う。

推敲もなんにもしていない。自慢……でもないけど自慢かも。いや、事実の確認かな。
わたしは彼女に支えられている。そういう人がいて、よかった。


もしもがあったら、読むことに繋げたいです。