「銃は2人に1挺」ー徒手兵、槍兵、手榴弾兵

映画「スターリングラード」(2001年)では、「銃は2人に1挺」しか支給さずされず、主人公が徒手空拳の状態でドイツ軍陣地への突撃に参加させられる描写がある。

実際に、ソ連軍ではそのような無謀な戦法が取られたのだろうか。

しかし、ゲリラ的な反政府軍では「銃は2人に1挺」しかない状態を有効に活用していた。

キューバ革命にて


ゲバラ(※)によれば、戦闘には「非武装ゲリラ」の存在が不可欠だという。

彼らの任務は、負傷者の武器や鹵獲兵器の運搬、負傷者の搬送、捕虜の監視、伝令である。
重量のある武器弾薬を持っていると、やや達成困難な任務だろう。

これら「非武装ゲリラ」は、一般的には兵士10名あたり2~3名が配置される。
「銃は2人に1挺」というほど困窮していないが、意図的に非武装兵を配置しているところに注目したい。

※ チェ・ゲバラ『新訳 ゲリラ戦争 キューバ革命軍の戦略・戦術』(中公文庫)、106ページ

戦後の満州にて(中共軍)

戦後の満州では、さまざまな理由から、中共軍に参加した日本人がいた。
山口盈文氏もその一人である。
1946年9月ごろ、彼は支給されていた九九式小銃を取り上げられ、「衛生救護兵」を命ぜられた。
彼の「武器」は、救急箱と手榴弾になった。
山口氏の推測では、この命令が出された理由は、武器不足の隊に銃を提供するためだという。
この善意?の提供によって、山口氏の隊は銃が3人に1挺になってしまった。

残念ながら、他の銃を持たない兵士がどのような役割を与えられたのかは記載されていない。

しかし、ここで注目したいのは、第二次国共内戦においても銃を持たない兵士が中共軍に存在したこと、そして、かれらは射撃以外で戦闘に貢献していた可能性である。

※ 山口盈文『僕は八路軍の少年兵だった』草思社、120ページ

第一次国共内戦ー「白兵戦ニ有利ナル槍兵」

広東攻略で日本軍に鹵獲された国府軍内部文書のなかに、「剿匪戦術」(C11110435800)がある。

内容を見ると、この文書は第一次国共内戦の戦訓をもとに作成された「対中共軍マニュアル」のようである。

銃を持たない兵が多い中共軍

この文書には、銃を持たない中共軍兵士が登場する。

まず、中共軍は「執銃兵」よりも「徒手兵」が多く、このため銃を遺棄することが少なく、行動が俊敏だという。(C11110436200)

「徒手兵」の多さを肯定的に評価している点に注目したい。
そして、国府軍に「徒手兵」が少ないのを問題視(C11110436900)しているようである。

銃や銃剣ではなく、槍

白兵戦では、銃は活躍できないという。(C11110436900)
そして、急に戦闘が開始されることが多いため、銃剣は不利だという記述もある。(C11110438300)
銃剣が不利となる理由は不明瞭である。
おそらく、中共軍の好んだ奇襲攻撃のさい、着剣の動作が出来ないからではないだろうか。

このような問題に対処するため、「徒手兵」に槍で武装させる案が述べられている。(C11110437400)

彼らは「槍兵」と呼ばれ、手榴弾も装備していた。
「槍兵(手榴弾兵)」という記述もある(C11110438300)。

彼らは白兵戦専門兵として期待されていたらしく、「白兵戦ニ有利ナル槍兵」(C11110438600)という記述もみられる。

槍兵の配分

歩兵中隊あたり「執銃兵」81名、「槍兵」54名の構成が想定されていた(C11110438300)。
小隊・分隊においても、両者はおおむねこの比率で配合する。
どの階層の部隊(中隊、小隊、分隊)にも、おおむね半数程度は槍兵で構成されていることに注目したい。

まとめ

まとめると、このような槍兵の存在によって、以下のメリットが期待されていた。
部隊の白兵戦能力が向上
負傷兵の銃を戦場に遺棄せず回収できる(C11110438300)
輸送を担当させることが可能(C11110437400)

この史料で提案されたような部隊が実際に編成されたのかは不明である。


手榴弾兵ー槍兵の進化?

中国軍は、国共両軍とも、柄付き手榴弾を使用していたことが知られる。
そして、手榴弾を極めて大量に投擲していたことが戦記などに記録されている。
手榴弾を投擲している兵士の一部は、小銃をもっていないのではないだろうか。(論拠はまだ十分にそろっていない)

もしかしたら、これらの手榴弾兵は「徒手兵」「槍兵」の系譜にある存在なのかもしれない。

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