青龍刀は中共軍で使用されたか

ここでは、「大刀」「抗日大刀」「青龍刀」と呼称される刀が、中共軍で実際に使用されていたのかを検討したい。

国府軍の一部部隊による青龍刀をもちいた戦闘が「大刀行進曲」という歌になっていることもあり、青龍刀は日中戦争を代表する武器にみられがちである。

おそらく、そのイメージをもとに近年の抗日映画は製作されているのではないだろうか。そのためか、青龍刀の登場シーンが多い印象がある。

しかし、現実には、すくなくとも中共軍に限ってみれば、その運用は限定的であった可能性が高い

史料の少なさ

中共軍が青龍刀を装備・使用したことを示す資料は少ない。

おそらく、これは筆者の調査不足に起因するのではなく、そもそも装備・使用していた事例が少なかったのではないだろうか。

現時点で私が見つけた青龍刀の記録は、以下の2点だけである。

中共側の記録

中共軍の捕虜になった日本人の著作(※)に、中共軍の装備に関する記述があった。
これによると、中共軍は「銃口の大きくなった古い小銃」「モーゼル拳銃」「青龍刀」「若干の機関銃」を装備していたという。

※ 香川孝志、前田光繁『八路軍の日本兵たち』サイマル出版社、p163

日本軍の記録

1944年、日本1個中隊が配置されている陣地に対し、主に青龍刀を装備する千名以上の中共軍が攻撃を仕掛けてきたことがあった(※)。
この攻撃は拙いもので、攻撃開始前にラッパを吹いたため奇襲とならず、また前後の文脈から白昼堂々の攻撃であったようであり、当然ながら失敗となった。
しかし、戦死者の遺体はすべて回収できたようである。

上述したような戦法の拙さは、中共軍らしくない。
おそらく、中共軍のなかでも「傍流」にあたる部隊だと思われる。
憶測だが、紅槍会系の秘密結社に由来する部隊なのではないだろうか。

※ J・B・ハリス『ぼくは日本兵だった』旺文社、164-166ページ


青龍刀よりも槍??

製作者が戦争経験世代と思われる時代の抗日戦争映画「地雷戦」「地道戦」には、青龍刀の描写はきわめて少ない
一方で、槍の描写は散見される。
これらの映画がある程度の史実を反映しているのであれば、青龍刀はほとんど使用されておらず、あえて言えば槍のほうが使用例が多かったのだろうか。

この主張を補強する史料がある。
日中戦争前の農民運動を視察した毛沢東の報告書(※)には、「梭镖」という槍で農民が武装しているという記述がある。
農民たちが使用しているのは槍であって、青龍刀ではない。
農民には青龍刀の生産が困難であったり、青龍刀の使用地域が限定的であった可能性は否定できないものの、青龍刀は民間にもそれほど普及していない武器だったのかもしれない。

※ 毛沢東「湖南省農民運動視察報告ー1927年3月」毛沢東『抗日遊撃戦争論』(中公文庫)、54ページ

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