近接戦闘重視は戦後も継続された

中共の戦後の文献には、近接戦闘を重視する主張が散見される。
依然として三大戦闘技術(射撃・手榴弾・銃剣)が重視されていた点、夜戦を重視していた点に注目したい。



第二次国共内戦

軍事訓練の課目は、射撃・銃剣術・擲弾などの技術水準を高めることを主とし、戦術水準をたかめることを補助とする。とくに夜戦の訓練に重点をおく。

「一九四六年解放区の活動方針」(1945年12月15日)


ここでの「擲弾」というのは、手榴弾のことだと思われる。

本記述は毛沢東によって第二次国共内戦時に書かれたものだが、「毛沢東語録」にも抜粋されている。
おそらく、「毛沢東語録」の編纂時期においても、この主張は正しいものと考えられたのだろう
残念ながら、今回は編纂時期の特定はできなかった。

※ここでは、毛沢東選集からの引用ではなく、毛沢東語録から孫引きした。
 毛沢東『毛沢東語録』平凡社、167項。

冷戦下

「長距離兵器が飛躍的に発展した近代的条件の下においても、最終的に問題を解決するのは数千キロメートルにあるのではなく、数十メートルの間の小銃・手榴弾による戦闘、銃剣による刺殺、格闘にある」

平松茂雄『中国人民解放軍』岩波新書、28項。

1960年10月に開かれた中共中央軍事委員会拡大会議における決議の一部のようである。
冷戦下においても、三大戦闘技術による近接戦闘は重視され続けたようだ。


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