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【近接戦闘】近接戦闘よりも、待ち伏せ射撃戦?

おそらく、中共軍にとって最も重要なのは、白兵戦(手榴弾や銃剣・刀剣をもちいた戦闘)ではなく小銃を中心とした射撃戦だったのではないか。

本稿では、その理由として以下を挙げる。
・部隊の戦力判定に小銃数が言及されること
・白兵戦での損害を回避しようとした可能性

また、射撃戦は、待ち伏せ攻撃のスタイルが採用されたこと、小銃を主体としつつも機関銃も参加していたことを述べる。

また、中共軍における手榴弾の重要性についても言及する。
手榴弾は中共軍のほとんどの期間で自家生産可能であり、配備もされていた。手榴弾を主体とした戦闘もあった可能性は否定しない。



戦力判定で言及されるのは、小銃だけ

中共軍指導者は、軍の戦闘力を判断するのに小銃の配備数は考慮していたが、手榴弾に関しては頭の中になかったようにも見える

毛沢東「井岡山の闘争」の「軍事問題」では、小銃についての言及はあるものの、手榴弾については述べられていない。

ブラウンの回顧録でも、小銃の数を問題とすることはあるが、手榴弾に関する言及は少ない(たとえば、ブラウン65項、134-135項)。
ブラウンが長征開始前の戦力に言及した時、おもに兵員・小銃・機関銃の数が述べられていた。手榴弾に関しては、「各自一~ニ個の手榴弾」を兵が持っていたとあるだけである(ブラウン130-132項)。

ちなみに、「手榴弾と銃剣」という用語を見かけることもあるが、「粟と小銃」という言葉もある。こちらの方が有名だろう。


白兵戦での損害を回避?

以下の記事で言及したように、白兵戦は人員損害のリスクが高く、そのため射撃に重きが置かれた可能性がある。


戦闘は、待ち伏せによる射撃戦が中心?

射撃は小銃だけで行っていたのではないだろう。
ブラウンによれば、第一次国共内戦時の中共軍にも機関銃は一定数配備されていたという(ブラウン64項、70項)。
おそらく、射撃の中心は小銃ではあるものの、一部に機関銃も混ざっていたのではないだろうか。
そして射撃は、よく知られているように待ち伏せ攻撃のスタイルで行われる。

手榴弾はあるけれど

ブラウンは、第五次包囲掃蕩戦での中共軍の装備は主に「小銃と手榴弾」だったと述べている(ブラウン70-71項)。
小銃だけでなく、手榴弾も配備されているのだ。

手榴弾が日中戦争下で大量生産されていたのは、以前にも書いた。
ブラウンによれば、第一次国共内戦下においても手榴弾は生産されていた(ブラウン64項)。
つまり、中共軍の戦いのおおむね全期間で、自家生産可能な兵器だったと思われる。

中共軍の行くところ、だいたいは手榴弾があった。
そして、それを主力として戦闘することもあっただろう。

参考文献

オットー・ブラウン『大長征の内幕 』恒文社、1977年。
彭徳懐『彭徳懐自述』サイマル出版会。
毛沢東「井岡山の闘争」中国共産党中央委員会毛沢東選集出版委員会『毛沢東選集 第1巻』外文出版社、1968年。


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