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ぶらり関西みて歩記(あるき)

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東海道は五十三次、すなわち街道沿いに53の宿場があったというのが一般的な認識だ。ところが実際には五十七次あって、枚方は56番目の宿場として栄えていた。
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#文学碑

ぶらり関西みて歩記(あるき) 大阪の文学碑

〔第14回(終)〕 与謝野晶子 ■不倫がキッカケで歌壇デビュー? 与謝野晶子は明治11年12月…

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〔第13回〕 三好達治 ■架空の町で生まれた? 明治33年8月23日、大阪市東区南久宝寺町(現…

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〔第12回〕 川端康成 ■700年続く名家 「伊豆の踊子」「雪国」「古都」「千羽鶴」など数々の…

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〔第11回〕 薄田泣菫(すすきだきゅうきん) ■中学を中退し独学で勉強 明治10年5月19日、岡…

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〔第10回〕 宇野浩二 ■父の急死で大阪へ 本名を格次郎といい、明治24年7月26日、福岡県南…

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〔第9回〕 織田作之助 ■生まれたときは「鈴木作之助」だった 大正2年、大阪市東区東平野…

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〔第8回〕 折口信夫 ■10代で才能が開花 折口信夫(おりくちしのぶ)は明治20年2月11日、大阪府西成郡木津村(現、大阪市浪速区)に生まれる。生家は戦災で焼失してしまい、今は残っていない。 小学校時代から、古典をはじめ広い分野の文学に親しんだ。天王寺中学時代には校友会誌「桃陰」に「都賀野の牡鹿」という作品を発表したり、「文庫」「新小説」といった文芸誌に投稿した短歌が入選したりするなど、早くから奇才ぶりを発揮している。 一人旅で鳥坐神社を訪れた13歳の夏、9歳上の僧侶

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〔第7回〕 井原西鶴/直木三十五 ■一昼夜に千句を詠んだ西鶴 江戸時代の初期に活躍した井…

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〔第6回〕 開高健 ■けん? たけし? 「健」の読み方を「けん」か「たけし」で迷う人が多…

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〔第5回〕 伊東静雄 ■今も多くのファンに愛される詩人 日本語の独特な響きを華麗に駆使し…

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〔第4回〕 林芙美子 ■尾道が心の故郷に 明治36年に生まれた芙美子(本名、フミ子)の出生…

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〔第3回〕 森本薫/川田順 ■役者や演出家としても活躍した森本薫 森本薫は明治45年6月4日…

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〔第2回〕 梶井基次郎/百田宗治 ■洋食を好むグルメだった梶井基次郎 梶井基次郎といえば…

ぶらり関西みて歩記(あるき) 大阪の文学碑

〔第1回〕谷崎潤一郎 作家の偉業を顕彰する文学碑は全国いたるところにあって、作品の舞台になった土地、あるいは作家の生誕地などに建てられることが多い。 大阪が輩出した偉大な作家を顕彰する文学碑、歌碑、顕彰碑、記念館を独断で選んで街ぶらをしてみた。 ■近代日本文学を代表する文豪 谷崎潤一郎は明治19年7月24日、東京市日本橋区蛎殻町(現、東京都中央区日本橋人形町)で生まれた。次男だったが、兄の熊吉が生後わずか3日で亡くなっていたため、長男として出生届が出された。 活動時