文坂なのは清楚可憐にうたう、手を伸ばせば届くその距離は遠く…
眠るすこし前、こんなポストを見つけた。
フィロソフィーのダンスやTiNGSに楽曲提供している好きな作曲家が太鼓判を押す”いい曲”とはなんだろう。文坂なのという人の曲らしい。てかこれ自画自賛じゃん。ひとまずライブラリに保存して、翌朝さっそく聞いてみた。
これをポストした1分後に宮野弦士”さん”から「いいね」が来た。呼び捨てにしてホントすみませんでした。まじでいい曲でした。
DNAの二重螺旋がチークダンスするくらい詞の言葉や楽器がスウィングしながらリズムを揺らしていくグルーヴィーな曲が好きなわたしは一発で惚れた。森高千里みたいな鼻にかかった歌い方と距離を感じる声がこの曲をノスタルジックに仕上げている。レトロな雰囲気が漂わせるヴォーカルと瑞々しい鮮明なサウンドの調和がとても気持ちよい。
ヴィジュアルから昭和歌謡やシティポップをルーツにもつ人だと推察したので、他の曲も聞いてみた。これが全曲良くて、あっという間に文坂なの楽曲のファンになった。あと文坂は「ふみさか」ではなく「あやさか」と読むようだ。
文坂なのさん、もうこれから名前を間違えることはないし、忘れることもありません。
一通り聞いたがこの『好印象な恋しよう』がいちばんのお気に入りになった。「好印象な恋しよう」「後遺症」「今日一生の恋しよう」「コーション」と、語感踏みや子音踏み(イントネーションによって同音異義語を生み出す韻)を使いながら意味を通し、危うい恋の駆け引きを描写する大人っぽい歌詞がたまらない。「好印象な恋しよう」と「今日一生の恋しよう」は今年のベスト韻に決定した。
結局この日から1週間ほど、他のライブの予習そっちのけでひたすら彼女の曲を聞き続けた。となってくると、当然ライブに行きたくなってくる。
Xを読むに、フリーランスのセルフプロデュースソロアイドルとして活動していて活動拠点は関西、とのこと。これは生で見られるのはまだ先かな…となかば諦めていたところ、一昨日(11月8日)、「11月19日にライブがある」と告知されてるじゃありませんか。これは呼ばれた。
しかし、その日は友達とサーティーワンアイス31種類をドラフトして食べるアイスパーティがある…集合時間は昼頃という話だけどまだ確定してない……ライブは赤坂で11時30分から…………よし行けるな。最悪、詫びアイスを1人ずつに献上しよう。
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11月19日 日曜日11時、会場であるアプロ赤坂に到着した。休息している飲食街の路地にある、見過ごしてしまいそうなほどこじんまりとした階段を下ったところにある小さなライブステージ。
『乙女の真髄 vol.5』と題したこのライブは文坂なのの他に、主催のいっぴきらびちゃん、スワンスワンズ、うさぎみくが出演する4マンライブ。タイトルの通り、ロリータファッション、リボン、レース、ヘッドドレスなど愛らしさを纏った乙女たちは見ていてすごく楽しかった。
華々しい衣装を召し上がる乙女たち一方で、大きな襟が印象的なチェックのワンピースというシンプルな衣装に袖を通した文坂なのは清楚可憐な少女のような出で立ちだった。
彼女の歌は遠かった。シティポップや昭和アイドル歌謡の再発見、リバイバルブーム下で聞いた色んな歌のなかでも、現代とかつての時代との遠さを彷彿とさせるような憂いを帯びた歌声は、広々とした世界のなかで感じてる孤独感を表してるようだった。彼女は生まれる時代を間違えた天性の声が時代の波によって開花してる人の一人だなとおもった。
そして、歌の強弱や声量といった技術的な部分とは別次元にある声と心との距離を感じる。中森明菜に似た雰囲気の翳った声。
80年代アイドルといえば、松田聖子と中森明菜の両者が代表的な存在であるとおもう。リアルタイムにこの両者を見ていないので性格やパーソナリティについて、これから申し述べることは大いに間違っている可能性が重々あるのを承知の上でわたしの所見を述べさせていただきたい。感覚的なことが多いので”そんな感じ”を察していただけると幸いです。ちなみにわたしは明菜派で『スローモーション』がマイベストです。
わたしから見てこの2人はとても対照的に映っている。それは距離感の違いがあるからで、その手掛かりが歌声にある。松田聖子は前に声が飛んでゆく歌声で、中森明菜は後ろへと残響する歌声だ。両者異なるタイプの歌声はそれぞれ異なる印象の距離感をわたしに与えている。
これはアイドルに限らず人間関係に言えることだが、自分と対象との間に一定の距離感が必ず発生する。親近感や嫌悪感などの尺度で表されるこの距離感は主観的であるが、しかし相手が感じている距離感もなんとなく推し量ることができる。神聖で不可侵なアイドルとなると、その距離感はより明確に、自分が対象へ向けている眼差しの性格を浮き彫りにする。
例えば松田聖子の場合は自分が松田聖子を遠ざけてしまうし、逆に中森明菜の場合は自分も遠ざけるけれど中森明菜もまた自分から遠ざかっているように感じてる。アイドルの不可侵でいえば、松田聖子は存在そのものが聖域であり、中森明菜は彼女の心の奥底が聖域である。そんな気がしている。
さて、以上を踏まえて文坂なのに戻るけど、彼女のステージまでは手を伸ばせば届いてしまいそうなほど近いのに、彼女までは遠く聞こえるような声だった。それでいてその内に秘めたる舞台へ出ていこうとする力強さを感じる。当時を体験することはできないけど、これがブラウン管を通してアイドルを見ていた人々の感覚なのかなと疑似体験できた気がした。
配信など鑑賞環境が充実して好きな時に好きな場所で見ることができるようになったけど、やっぱりライブは直接観るに勝るものはない。音源では感じづらかった微妙な部分を聞けたし、最後にきっかけの曲『輝きin my love』が聞けたので、ライブに行けて本当に良かった。
関西を拠点にしてるけど、関東にもけっこうな頻度でライブしに来てくれると特典会で教えてもらったので、機会があればまた必ずライブに行きたい。
以上、人生初の特典会でアホみたいに緊張して十全感想を伝えられなかった人間の言い残しでした。ここまでご覧いただきありがとうございました。特典会で緊張しない方法、募集します。
おしまい。
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