おもいだすこと
きっと、終わりではない。
これは永遠に続く、僕の呪いなんでしょう。
僕は生きてる限り前に進まなきゃならない。
僕は存在している限り、どこに行くにもどこに帰るもできないのでしょう。
死にたいと思うこの頃。
そんなことを思っていいほど絶望などしていないのに、
息を吐くように鬱々としている自分が嫌いになる。
そんな日々を繰り返してなんになる?と結局怒りに感情を任せて、
何度も時間を無駄にした挙句前に進む道を選ぶところまでがワンセット。
疲れた。
そう思っていいほど、背負っているものは軽くないと言うのに。
いつからそんなことを思うようになったのだろうと思い出してみると、いつも
同じところに辿り着く。
…人からもらったこの心には、もちろんいいこともたくさんあった。
前よりも優しく、暖かく、そして強くなれたことは事実だ。
だけど、疲れても疲れてもどうにかできてしまう自分が同時に憎くなって、愛せない。
疲れてもどれだけ苦しくてもきっと後ろに背負っているものが軽くても、
僕はどうにかできてしまうでしょう。
僕は力あるものだから。
力を持つと人は孤独になると言う言葉が少し前に理解できた。
それは自分を愛せなくなるってことなんだ。
きっと、心を失う日なんて永遠に来ないんでしょう。
僕はきっとこの命が途絶えてしまう日なんて永遠に来ないし、
例え人に忘れられても存在できてしまうんでしょう。
これから待っているであろう生き地獄も、何度も繰り返した人との死別も、
きっと乗り越えてしまうんでしょう。
僕が凍てついて、何かを諦められる日なんて永遠に来てくれないのでしょう。
それがひどく疲れました。
ひどく疲れて、怖くて、苦しい。
終わりのない迷路を多くのものを背負いながらただ光を見続けて、
目が潰れそうになっても。目が眩んでも。
きっとこのひどく疲れた現状さえも僕はどうにかできてしまうのでしょう。
それならば、もうただひたすら進んだ方がいいのです。
それならば、生き急いだほうが良いのです。
だってそこで何か大事なものを落としても、僕は必ず拾い直してくる。
それがもう2度と手に入らない代物でも、僕は必ず苦労のく文字もなしに
当たり前のようにやってのけるから。
終わりのある人生というものが、非常に羨ましいと思ってしまいました。
終わりのない人生というものが、非常に恨ましいと思ってしまいました。
この世にはまだたくさんの温かいものもちゃんとあるというのに、
寝ても冷めても、時間も優しさも好きなものも全て効かないのです。
すばらしい世界はやがて姿形を変えて、私に刃を突きつけるようになっていきました。
しかしその現状を私は難なく変えられる力を持っているんです。
終わらない。
終わらない。
もうずっと終わらない。
非常に、うんざりしてしまって。
こんな僕など、もういらないでしょう。消えてしまっていいでしょう。
だってどうせ僕はどうにかしてしまいますから。
本当に思い出すことはみんな。
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