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『可愛くてごめん』の捉え方

はじめに

キャッチーなフレーズと明るいメロディー、勝気なフレーズで知られる有名なあの曲。最近よく耳にするので、この間一曲をフルで聞いてみた。

印象としては、途中で聞くのがつらくなってしまい中断しながら、一応最後まで聞いた。内容がものすごく苦手だった。

なにが苦手だったか、それは歌詞の語り手の性格が悪いことだ。しかしこの考えは二度目に曲を聴くことで変わることになる。まずは最初の印象から、順を追ってみていく。はじめはネガティブな話になるが、結論はそう暗くないので気になった人は気を悪くせず最後まで読んでほしい。


第一印象

『私が私の事を愛して何が悪いの? 嫉妬でしょうか?』
自分を愛することは何も悪いことではないし、それを疑問に思うことも分かる。しかしそれを嫉妬でしょうか?と括るのは被害者意識があまりに強すぎるのではないか。出だしから不安を覚えた。

『痛いだとか変わってるとか届きませんねそのリプライ』
これは何も問題ない。たとえこれが強がりだったとしても、そのスタンスでいた方がいい。しかしこの歌詞からも、この曲の主人公が相当な強気であることは感じられる。


『大好きなお洋服 大好きなお化粧で お決まりのハーフツイン巻いてお出かけしよ 日傘持って ぼっちだって幸せだもん!』
ぼっちなのか。そうだろうな。と思った。性格に癖があり、考え方が尖がっていることはここまで聞けばわかるからだ。あまり認知が歪んでいて、周りの人に対して攻撃的な考え方を持っていると、人は寄り付かないと思う。


『Chu! 可愛くてごめん 生まれてきちゃってごめん』
生まれてきてごめん、の時点で、私は考えを少し変えた。主人公は抑うつ傾向にある可能性もあるのだろうかと思った。友だちが少なく、神経が過敏で周囲を敵視する。しかし自己肯定感は低い。そういう状態なのかもしれないと私は受け取った。

『Chu! あざとくてごめん 気になっちゃうよね? ごめん』
気になっちゃうよねごめん、と思っている時点で気にしているのは主人公なのだ。周囲が自分のことを気にしていると感じるのは、自分が周囲の目を気にしているからである。本当に気にしない人は「私のこと気になっちゃうよね?」とも思わない。なぜなら周囲の評価というものが眼中に無いからである。

『Chu! 可愛くてごめん 努力しちゃっててごめん』
完全に私情にはなるが、私が一二を争うレベルで苦手な歌詞がここだ。この曲の主人公が「あなたとは違って努力してますから」という言葉を向ける対象は、主人公に対して悪口を言う人物(あるいは主人公がそう思い込んでいる人物)なので、私はその範疇ではないのだが、シンプルに努力できる性格が悪い人がいちばん苦手なのだ。自尊心が捻じ曲がっている。自分の努力を他者への見下しに使うのは、自分の努力への侮辱だ。残念な人だなと思う。美しい努力という絵画を、考え方という汚い絵の具で上書きしているように見える。


『Chu! 尊くてごめん 女子力高くてごめん ムカついちゃうよね? ざまあ』
この歌詞が最も苦手だ。理由は『努力しちゃっててごめん』への思いと同じである。せっかくの努力が台無しだ。『ざまあ』とまで言ってしまうのは、性格が悪すぎる。あと別に、主人公の努力をそんなに熱心に見て、熱心にムカつく人はそう多くないだろう。ぼっちらしいし。この歌詞に共感する人がいるなら、思い上がりも甚だしいと思う。それか被害者意識が強すぎるので、心配だ。己にも心当たりがあるので言うが、認知の歪みは視界を曇らせ、世界を醜くする。


『貴女は貴女の事だけどうぞ 私に干渉しないでください』
粘着質な相手でもいるのだろうか、と思った。この歌詞からは、今までの主人公の鬱憤の溜まりようはただの被害妄想ではないことが読み取れる。


『類は友を呼ぶと言うけど 届きませんね その陰口』
ここで言う『届かない』は主人公の耳にではなく、心にだろう。「お前に悪口言われたって傷付きゃしねーよ」ということだ。しかし類は友を呼んでしまっているのが悲しいところである。正直私には、努力できる主人公を妬んで悪口を言う人物も、それを口汚く罵る主人公も同レベルに見える。


『重い厚底ブーツ お気に入りのリュックで 崩せない前髪 くしでといて
お出かけしよ 軽い女? ふざけんな 重すぎるっつーの!』
流行に疎いので何とも言えないが、おそらく最近の流行を取り入れたファッションなのだろう。MVを見る限り地雷系である。地雷系は主人公の言うように重いと私も思うし、世間の印象も大体同じだと思うので、この部分は個人的には少々不可解だ。あと軽い女と言われたのなら「ふざけんな」ぐらいブチギレるのも頷ける。私もキレる。


『Chu! 可愛くてごめん この時代生きてごめん Chu! 目立っててごめん 意識しちゃうよね? ごめん Chu! 可愛くてごめん 自分磨きしてごめん Chu! ぶりっ子でごめん 虜にしちゃってごめん ムカついちゃうでしょ? ざまあ』
ぶりっ子なのか、と思ったのだが、おそらく主人公がぶりっ子なのではなくそういう悪口を言われたんだろうと思いなおした。ぶりっ子なら男を侍らしているはずである。本人曰くぼっちらしいので、これは実際に主人公が言われた悪口なのだろう。それに対して『虜にしちゃってごめん』は上手い返しだなと思った。「そういう悪口を言ってくるってことは私が魅力的に映ってるってことだよね?」というのは反論として正しい。他の歌詞に対する印象は概ね今までの部分と変わらない。


『趣味の違い 変わり者とバカにされても曲げたくない 怖くもない あんたらごとき』
敵対するのがひとりでない部分に感じるものがある。単なる相性の良し悪しではなさそうだ。複数人と揉めているなら主人公の考え方、態度にもやはり問題が無いわけではないような気がする。趣味を曲げないことには賛成である。曲げられるものでもない。


『自分の味方は自分でありたい 一番大切にしてあげたい 理不尽な我慢はさせたくない 「それが私」』
ウン。良いと思う。


『Chu! 可愛くてごめん 生まれてきちゃってごめん Chu! あざとくてごめん 人生楽しんでごめん Chu! 可愛くてごめん 努力しちゃっててごめん Chu! 尊くてごめん 女子力高くてごめん ムカついちゃうよね? ざまあ』
この主人公が本当に人生を楽しめているかどうかは、私は疑問に思った。


発想の転換

さて、ここまでの感想から、私はこの曲を聴くのが苦手になった。この曲をBGMとして耳にするたび、考え方の合わない友人の話をうんうんと聞いてあげているような気持ちになっていた。意外としんどいことが分かってもらえるだろうか。

だが、この印象は、二度目にこの曲をフルで聞いた時に「主人公が一般人と仮定した場合なら」であることに気付いたのだ。なぜ私が、それまで気付かなかったその可能性に時間をおいて気付けたかというと、友人がカラオケでこの曲の前に『ファンサ』を歌ったからである。なぜ私がそれまでその可能性に気付けなかったかと言えば、MVに引きずられすぎたからである。

主人公が一般人でないのなら、例えばアイドルなら。この曲の歌詞はどういう意味なのだろうか?もう一度考え直してみた。


第二印象

『私が私の事を愛して何が悪いの?嫉妬でしょうか?』
『痛いだとか変わってるとか届きませんね。そのリプライ』
『Chu! 可愛くてごめん 生まれてきちゃってごめん』
『Chu! あざとくてごめん 気になっちゃうよね?ごめん』
『Chu! 可愛くてごめん 努力しちゃっててごめん』
『Chu! 尊くてごめん 女子力高くてごめん』
『貴女は貴女の事だけどうぞ 私に干渉しないでください』
『軽い女?ふざけんな 重すぎるっつーの!』
『Chu! 可愛くてごめん この時代生きてごめん』
『Chu! 目立っててごめん 意識しちゃうよね?ごめん』
『Chu! 可愛くてごめん 自分磨きしてごめん』
『Chu! ぶりっ子でごめん 虜にしちゃってごめん』
『ムカついちゃうよね?ざまあw』
『類は友を呼ぶと言うけど…届きませんね。その陰口』
『怖くもない あんたらごとき』
アイドルなら注目を浴びている自覚が無いワケがないし、嫉妬妬み誹謗中傷がわんさか来るであろうことは容易に想像がつく。いわゆる女子力も、血の滲むような努力もたくさん重ねることが前提で、当たり前にそれらが要求される世界なので、あまり嫌味にも聞こえない。『ムカついちゃうよね ざまあ』くらい言いたくもなるだろう。これなら被害妄想でも何でもない。


『大好きなお洋服 大好きなお化粧で お決まりのハーフツイン巻いて
お出かけしよ 日傘持って ぼっちだって幸せだもん!』
『重い厚底ブーツ お気に入りのリュックで 崩せない前髪 くしでといて お出かけしよ』
『趣味の違い 変わり者とバカにされても曲げたくない』
『自分の味方は自分でありたい 一番大切にしてあげたい 理不尽な我慢はさせたくない “それが私”』
『人生楽しんでごめん』
ぼっちなのは有名人ゆえ、対等な立場で付き合える友人が学校にいないと考えればわりと納得はできる。こっちの歌詞はアンチに向けてというより、クラスメイトなどの、より私的領域に向けた主人公の在り方を示しているように聞こえる。


まとめ

honey worksはMVにかなり重要な意味があり、曲とストーリーが密接に結びついているということは知っている。なので今回の解釈はおそらく正解とは異なっている。しかし、視点を変えて見ることで納得がいくこともある。受け入れられることもある。私はそう解釈することで自分を納得させた。

主人公はおそらく、外見の可愛さを追求するあまり内面磨きは疎かになってしまった、認知の歪んだコンカフェ壌だろう。内面を顧みない過剰なルッキズムを感じる点で、実に現代人らしいと思う。見た目が可愛ければいいってもんじゃないだろう、というのが個人的な意見だ。もっとも、これは彼女にのみ責任があるわけではない。社会の風向きがそうなのだから、外見ばかりに囚われてしまうのもある程度は仕方がないことだ。

彼女の性格を考えれば、私の意見に彼女は「芋くさい女の僻みですか?」と捉えるのであろう。これが認知の歪みである。何か言われた時、自分の感情の責任を他者に求める人は、人の意見を聞き入れず考え方が改善される可能性が低い。メンタルが強いというメリットがある一方、周りからすると厄介というデメリットがある。その厄介さが仇となり、ネットのリプライでまで悪口を送られているのだろうと思う。彼女視点の歌なのだから、彼女にとって都合の悪い事実は隠されていると考えるのが普通だろう。ましてや彼女の性格を考えるとなおさらである。

気になるのは、honey worksがそこまで表現することを意図していたか否かだ。もし作詞者が「人の目を気にせず頑張る女の子」を表現しようとしていただけで、リアリティのある彼女の歪みを表現する意図まではなかったのだとしたら、作詞者にも大いに認知の歪みがあることがうかがえる。

私は彼女とはまた違う方向に認知が歪みまくっている人間であるうえ、人の心理に関してズブの素人なので、これまでの考察に何の確証もない。しかし、彼女の人生は彼女の考え方、心の持ちよう、態度によって大きく変わるはずである。私は彼女よりは世界が美しく見えていることだろう。これだから認知の在り方は大事なのだと、改めて思った。


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