人間は一回吹っ切れたほうが良いのか考察

はじめましておはようございますこんにちはこんばんはひろです。
今回は真面目な話なのかもしれない、深夜によっしゃ思い浮かんだし書くか~って雑に書き始めてるから真面目かどうかなんてことはわからない。
さて本題、吹っ切れるというかどうでもよくなるみたいなもののが近いのかもしれない。自分の体験談として死にたいの次に来るのはまじで死ぬか死ぬのさえどうでもよくなるである、自分は後者だった、いわゆる吹っ切れたわけだ、吹っ切れると何があるかって謎の勇気が湧いてくる、それまで色々気にしてできなかったようなことが何も気にせずできるようになったりする。ようするに性格が少し変わる、怖いな。ここだけ聞くと聞こえは良いが悪く言うと危機感のようなものが薄くなる、元が危機感強すぎ警戒心強すぎ人間だったなら良いがそうでなかったらかなーりやばい、やっぱ上手くは行かねえな、だがまあ鬱というものからある程度解放されるとこはある。それだけで十分リターンもある気がする、そもそもそこまで鬱になるやつは危機感強強人間くらいなのかもしれない。だがやっぱり危機感が薄くなるってのはなかなかやばい訳で、度合いにもよるがなんでもかんでも何とかなるって言うレベルになることもある。ここまでくるともう人間として必要な何かを忘れてるレベル。
結論として言えば個人的には吹っ切れるのはまーじで病みまくるやつは一回経験するのもありだがそれで危機感がなくなるというのは怖いといったところ。
結局薄い文章になってしまったな、俺は吹っ切れた結果かなり精神的に楽になっているから追い詰められ続けてある意味ラッキーって感じになっている。だがそこで死を選ぶ人もいるわけでそういう人はほんとに何もかも投げ出してでもいいから誰かに辛いとか言ってほしい、少なくとも俺は投げ出されるのは迷惑だとか思ってないからな、きっと大勢がそうなんだろう。
さて真面目な話をしたわけだが、いやーお堅い、苦手。午前4時だぞ、なんでこんなん書いてんだよ寝るよおやすみな、夜更かしも程程にしろよ~、元気でな

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