見出し画像

文章が書きたくなったので

noteとやらを始めてみることにした。

タイトルの通り、ただ文章が書きたいという理由で始めたので、よっぽどお暇でない限りはそっとブラウザを閉じることを推奨。
多分毒にも薬にもならない。

さて、初めての投稿なので自己紹介から始めていこうと思う。
名前:叉焼
趣味:旅行・料理・キャンプ・漫画・アニメ・ゲーム・スポーツ観戦etc…
   「広く浅く、ところにより深く」がモットーなので多岐にわたる。
    凝り性のくせに飽き性。割と形から入るタイプ。
これじゃ何もわからない?わからない事がわかればそれでいい。曖昧を曖昧にしたままにできるのも決して悪いことじゃない。

文章を書きたいという欲求は昔からあって、小学生の頃には絵の上手な子と絵本を作ったこともあるし、高校生の時分にはいわゆるケータイ小説に投稿をしていた。なろうとかがまだなかった時代ね。
今思い返すと黒歴史以外の何物でもないので内容は話せないが、その時に学んだことは私は創作には向いていないということだった。

うろ覚えだが人には「0を1にするのが得意な人」、「1を10にするのが得意な人」、「10を維持するのが得意な人」がいるらしい。
私は二番目のタイプだ。脚本家というより演出家に近いのだろうが、それも過去のインプットを組み合わせてアウトプットしているだけなので、独創性がないといわれればそれまでだ。
だから物語を作ってもどこかで見たようなものになってしまいがち。
その引き出しも加齢とともに取り出すのが困難になってきた。体の衰えはしゃーないとしても、心が衰えるのは嫌だなあと最近思うわけです。

そして文章が好きではあるが、決して読書家というわけでもない。
たくさんの本を読むよりも、同じ本の同じページを何度も読み返すことが多い。みんな大好き山月記は国語の授業の度に読んでいたし、ふとあの小説のあのページのあの文が読みたいと本棚の奥の方に手を伸ばすこともある。
その文のリズムであったり美しさに一度心を奪われてしまうと執着してしまうのだ。
もちろん、小説としてそこまでのストーリーがあるからこそ、その文の美しさが際立つということはわかっているつもりだが。
文章に限らず、同じ動画やアニメを繰り返し見たりすることからもそういう性格なのだと思う。
こだわりが強いくせにめんどくさがりとかいう難儀な奴なのである。


話は少し変わるが、私は日本語が一番美しい言語だと思っている。
修飾語・擬音語・擬態語の豊富さと、文法の自由さがその理由だ。
「はらはらと舞う粉雪」とか他の言語に訳しても伝わりにくいんじゃないか
と思うし、そもそも複数のニュアンスを含む単語が多すぎなんじゃないかと。「ヤバい」とかポジティブにもネガティブにも使えるとかヤバいよね(語彙力)。
他の言語にも美しさやカッコよさがあるのも理解しているし、別の言語圏で生まれ育ったのなら違うのかもしれないが、残念なことに日本語しか話せないので仕方がない。ほんとはスペイン語とかドイツ語とか覚えたいなとも思うんだけどね。


グダグダと書き進めてきたが、いつの間にか書き始めて2時間を越えていたのでこの辺にしておくことにする。まとまりも面白味もない文章になったなあ、と推敲しながら苦笑い。noteの機能も全然生かせてないしね。
次回以降は何か一つテーマを決めて書いていきたいと思う。コラムとかエッセイ的な何かになればいいかな。その二つの違いがよくわかっていないんだけども。目的としては思考の整理になるだろうか。普段ぼんやり考えていることを言語化して記録に残すことで脳のリソースを空けていければ。
書きたいテーマはいくつかあるが、気が乗るかどうかが最大のネックだし、書くならそれなりに調べないといけないと思うし、読む人がいるとも思っていないので自分自身に期待しないでおこう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?