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”センス”の高い人、低い人

”センス”が良い人、悪い人と言えば自分はどうだろうか?また、周囲の人々はどうだろうか?

”センス”は”ある”か”ない”かで測られる事もあるだろうが、私自身、”センス”とは”感度”であり
センスとはあるか、ないかではなく
高いか低いか、であると思っている。
(センス(感度)は人類皆が共通に持つ初期スキル。センスがない人間などいない。)
(そのセンスが高いのは動物も挙げられる)
(そしてそのセンスは意識して磨かねばどんどん退化していくのだ。)

そして、センスの高さ、低さは何もファッションや身につける小物だけで測られるものではなく、
はたまた高い芸術性を持っているか、持っていないか、音楽的センスがあるか、ないかなど

あるか、ないか という二元論的思考で測れるものではないと思っている。

私にとっての”センス(感度)が高い人”の特徴は”見ている視座が高い人”を指す。

ファッションセンスの低い人は、まず素材を活かせない。
春夏秋冬、季節に合わせて素材を選ぶ事ができない。

これは極端な例だが、真夏に厚手のダウンを着ていたり、冬に薄手の衣服を身につけていれば、それを見ている周囲の人々に
「暑苦しいな」、とか「うわ、寒そうだな…」というある種の”モヤモヤ感”を与えてしまう。
それは、端的に言うと”ストレス”である。

センスの高い人というのは、
この衣服を身に纏っている自分を見た周囲の人間に心地よさを与えられるかどうか?までを読める人の事を指すと私は思うのだ。

自分なりの個性や好きなモノを身に纏う事は大前提として、
決して”独りよがりではない”、自分という支点から周囲にどれだけポジティブな波動を広められるか?

実は、そこまで読める人って少ないのだと思う。

美しい花畑に行った時、景色を壊すような柄の衣服を身に纏っている人がいれば
それを見た周囲の人間は目に見えないレベルでのストレスを感じるものだ。
(私は決して口には出さないが、「お、笑笑」と思う事が多々ある。笑笑)

季節感を大切にしつつ、
また、色が人に齎す影響を考慮しつつ
景色やその場の空気を壊さず、乱さず
自分を活かす衣服を身に纏う。

個性も行きすぎれば”ただの独りよがり”なのである。少なくとも私はそう感じる。

この時期は春の陽気に誘われて
美しい景色や咲き誇る花を見に行く機会も多いだろう。

そんな中で、私が心がけているのは
”私がトキメキながら、景色を壊さず場を乱さず私も周囲の人々も気持ちよくできる為の衣服選び”である。

風の時代、スピリチュアリティのブームにより”自分らしく生きる”を大義名分に
”独りよがりの自己主張”を続ける”センスの低いスピリチュアリスト”が増えている。

このままでは、ますますスピリチュアルに対する嫌悪感や気味の悪さは助長され
スピリチュアル的(本質的)な生き方が曲解されてしまいかねない。

けれど、所謂”スピ系”を気味悪く思ったり、嫌悪感を覚える事に
スピ系である私自身、「そりゃ、そうだよね」と思ってしまう。
なぜなら、圧倒的にセンスの低いスピ系が多いのは事実だから。
今回はファッションを用いてセンスの低い人、高い人について取り上げたが
コミュニケーションスキルや言葉の選び方、氣の配り方、払い方などでもセンスの低さ、高さは感じ取れるだろう。

自分の好きなように生きる。
自分らしくのびのびと人生を楽しむ事を大前提として

更にその先を目指す人々へ
高い視座で物事を捉え、実践する感度高めの同志達に届く事を願って。

ありがとうございました。

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