認識はいつどこでつながっていくのか

自分の認識できる情報が「認識」として保存されると仮定する。「認識」は情報を保存する手段であり、保存されたかたちである。
人は自分の目で物事を認識する。「主観」の中で「認識」は得られる。「主観」は「認識」の集合という意味で、「主観」も「認識」である。「主観」の集合が「自分」であるとすると、「自分」も「認識」である。
「自分」が「主観」を通じて「認識」を得る「今」「ここ」が、「認識」同士がつながり、新たな「認識」の形成される場所ではないだろうか。

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