夢と認識 その3

楽しい夢や怖い夢など、夢には感情が伴うことがある。悪夢で夜中に飛び起きることがある。覚醒時のように「内界」が完全に成立していない場合でも感情は出現するものであり、認識や主観の活動が感情や恐怖を呼び起こしていると言える。むしろ、覚醒時には悪夢ほどの恐怖を感じることは少ないのではないだろうか。

朝起きると、意図せず自分が成立している。自分の活動を生みだす機能が身体に備わっているからだろう。身体にとって、覚醒時に自分はあって当然のものである。

もしも、夢のような現象が覚醒時に起きるとしたらどうであろうか。
“「場所」の定まっていない「主観」”が出現しようとする場合、
1:それは「主観」の集合の中には集合できないだろう。
2:新たな「認識」や他の残りの「主観」によって代償的に「認識」付けを加えられるとしたら、「主観」の集合になんとか集合できるかもしれない。

1の場合、不完全な「主観」においても「自分」は存在させられ、残りの「主観」の集合における「自分」の「場所」との“2つの「場所」”が並行して成立することになるだろう。
残りの集合における自分の能力は、不完全な「主観」には影響を及ぼすことができないだろう。
2の場合、“「場所」の定まっていない「主観」”に新たな「場所」が(新たな「主観」の中で間接的に)与えられる。「主観」の集合は1つであるため、「自分」の「場所」は1つである。不完全な「主観」は、新たな「主観」に含まれることによって新たな体験として「認識」されるだろう。
夢における認識や主観の性質は、覚醒時に精神症状としてみられる認識や主観の性質との相違を思い浮かばせる。

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