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漫画でめちゃくちゃ元気がもらえるシーン

大掃除をしてたらホコリを被って僕の前に現れた、漫画アイシールド21。ひさびさに読み返すと目が熱くなるようなシーンばっかりだった。(お陰で途中から掃除は全くはかどらなかった)

僕は漫画がすごく好きだ。

元気や勇気をもらえることが多い。そういうシーンを電子書籍で買って、PCの壁紙にして、ときどき見るようにすることもある。(Macは壁紙を一定経過時間ごとに変わるスライドショーにできる)

「自分のありたい姿ややりたいことに対して誠実、愚直、真摯なさま」を表現するシーンは特に勇気や元気がもらえる。
そういうシーンをいくつか自分のための備忘録的にここにまとめておきたくなったので書く。

ネタバレが嫌いな人は見ないでください。

アイシールド21から

この作品はめちゃくちゃそういうシーンが多すぎる。選ぼうとしたらたくさん出ちゃうから、よくネットに書いてある

「アイシールドは神龍寺戦まで読めば十分」

に対して異論がある僕として、「神龍寺戦より後のシーン」から選ぶことにします。

前置きが長くなった。

まず、ひとつ目は、峨王力哉(がおう りきや)が日米戦でMr.ドンとマッチアップしたときに対話するシーン。原作37巻327話(327th down 「途(みち)があるならば」より。

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Mr.ドンは峨王に対して圧倒的な実力を見せつける。対して峨王は、唯一の突破口であるものの、成功が難しく、峨王にはあまり向いていない技である「デルタダイナマイト」を使いMr.ドンに挑む。
しかし峨王は技を使いこなせず何度も負けてしまう。やがて、決して諦めようとしない峨王に対し、Mr.ドンは不思議そうに、そして、あざ笑うかのごとく問いかける。

Mr.ドン「低く、低く…敵の懐に潜り込む。背の低さは時に武器にもなりうる。だが悲しいなあ。無駄に図体のでかいお前にはその才能すらない
「なぜだ?なぜこんな無意味な真似を繰り返す?デルタダイナマイトとやらはお前には向いていない。それすら理解できん男ではないとは思っていたが、買い被りだったか…」

峨王わからんな」

Mr.ドン「フ…つまらん。もはや自分でも自分がわからぬ、意地の世界ということか」

峨王「そうじゃない」
「ドン お前がなぜそんなことを聞くのか分からんと言っている」
「頂(いただき)への道を見つけたのなら、険しいのか?己に向いているのか?可能なのか?そんなものは関係ない!ただ、“登る”」
「少なくとも-俺にアメリカンフットボールを教えたマルコという男はそうしてきた」
「才能が足りぬのなら臆面もなく人の手にすがり、己の手を汚し、愛するものに侮辱され、それでもなお、頂点を獲るために」
「全ての男が本来持っている 焼け付くような渇き ただ頂点を獲るために……!」

そして、このセリフの直後、デルタダイナマイトは完成し、峨王のタックルがようやくドンに届く。
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スポ根にせよ、バトル系にせよ、大抵の少年漫画には強さのインフレがある。じゃんけんや特殊能力バトルのように、相性の良し悪しがあるならともかくとして、
アメフトの、しかもラインマン(ボールにほとんど触らず純粋に押し合う。パワーや体格の大きさ、体重の重さなどが強さに直結するポジション)であれば、当然、インフレが進みまくります。

37巻はアイシールド21の最終巻。
物語の終盤にようやく登場し、日本topの高校生として描かれた峨王。その峨王をMr.ドンは赤子の手をひねるかのごとく冗談みたく何度も地面を舐めさせる。
劇中でも最強だったラインマンをさらに上回るドンに対して、もうだめだ、絶対勝てないと読者すら思い始めたときに、このシーン。

そうか、できるかできないかじゃなくて、そうありたいかどうかで動いてもいいんだった。そういう勇気をもらえる。

まあもちろん、現実は諦めが肝心かもしれない。一方で、諦めていいほどに努力をちゃんとやり尽くしてるひとはそんなにいないわけで。だからこそ、たまに読み返したくなるシーンだ。

うわわ、思ったよりも長くなってしまった。続きはまた今度。

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